岐阜牛乳

(記事下段)

岐阜牛乳

岐阜牛乳(株)
岐阜県岐阜市沖之橋360-1
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

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昭和20年、恐らく市域一帯の業者さんらが合資設立した地場メーカー。社長は実業家・村瀬一郎氏、専務には古くから岐阜市内で搾乳販売を営む山田源吉氏が就いた。掲載は古き良き時代の一本、ここまで飾り気のないデザインも珍しい。

市場競争激化につれ経営不振に陥ったらしく、様々な方向を模索。昭和38年に協同乳業(名糖牛乳)と提携。次いで40年代には日本酪農協同(毎日牛乳)の資本参加を容れ、系列工場に転換。「岐阜牛乳」の銘は間もなく消滅した。

岐阜牛乳の広告(昭和27年)岐阜牛乳の広告(昭和29年)
画像上:岐阜牛乳の広告(昭和27年、同29年)…毎日飲んで毎日健康、毎日飲んでる元気な子!岐阜市沖ノ橋町に拠点を置いていた時代。岐阜駅のそば、長良川に近い場所に工場があった。

◆日本酪農協同による経営

確認できる範囲では、昭和46年の時点で日本酪農協同の社長・橋本光宏氏が岐阜牛乳の代表に就いており、経営主体は毎日牛乳に移った。さらに51年、岐阜牛乳(株)は会社更生法の適用を受け、再建手続きを行った記録も残る。

しかしとにかく、毎日ブランドの受託製造をメインに工場は存続。時期不詳ながら、遅くとも昭和50年代中期に「岐阜牛乳」は無くなっていただろう。

◆営業所の併設・工場閉鎖

日本酪農協同は昭和58年に岐阜営業所を併設、一帯のシェア拡大に本腰を入れる。岐阜牛乳(株)は連結子会社として生産業務を続けたが、平成23年に至って毎日側が吸収合併し、会社は解散。工場も同時期に閉鎖されている。

いっぽう岐阜営業所は平成19年、中京営業所(名古屋市北区)を統合。中部・東海エリアを一手に担う新・中京営業所に発展。同26年に開設の名古屋営業所(名古屋市緑区)に全機能を移管するまで、工場閉鎖後も事業拠点が残っていた。

― 関連情報 ―
岐阜牛乳の紙栓 / 同・日本酪農協同OEM (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
同・紙栓 (牛乳キャップとは) / 同・紙栓 (懐かし牛乳)
日本酪農協同株式会社 2009-03 有価証券報告書 (有報リーダー)※消滅


設立> 昭和20年
昭31> 岐阜牛乳(株)・村瀬一郎/岐阜県岐阜市沖之橋360-1
昭34〜36> 岐阜牛乳(株)/同上
昭39〜43> 同上/岐阜県岐阜市沖橋町3-26
昭44> 掲載なし ※この頃に工場が本巣郡へ移転と見られる
昭46〜平13> 同上/岐阜県本巣郡真正町宗慶342
平16> 真正町は周辺町村と合併し、本巣市となる
平23> 岐阜牛乳(株)を日本酪農協同(株)が吸収合併

独自銘柄廃止> 「岐阜牛乳」銘は昭和50年代に廃止
工場閉鎖> 平成23年頃?
電話帳掲載> 日本酪農協同(株)中京営業所/岐阜県本巣市宗慶342 ※平成25年時点
公式サイト> https://www.mainichi-milk.co.jp/ (日本酪農協同)

処理業者名と所在地は、全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。掲載情報には各種Webサイトや書籍資料(参考文献一覧)の参照/引用、その他伝聞/推測などが含まれます(利用上のご注意)。



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