打刻から推して(1)番瓶は会津厚生舎さんの初代印刷瓶と見込まれる。屋号やイラストは毛筆で描かれた素材を基にしたようで、心許ないインクの乗り具合に線の強弱が際立つ。栄町・会女西側
なる所在表示も面白い。正式な住所とは異なっており、地元の通称だろうか。
後継(2)番瓶にも写実的な赤ちゃんは健在。往時の特売ちらし・映画のポスターを思わせる勢いに溢れた書体が目を引く。會津ミルクプラント、会津/会酪牛乳等と同様に
「ビタミン入」
とあるが、グレードの高い栄養強化系の扱いではなく、原乳不足や森永ホモ牛乳の大ヒットに対応するため、加工乳が基準商品としてラインナップされていた時代の名残である。
昭和40年代中期に自家製造中止、ブランドは消滅。しかし喜多方市には全く同名の
「会津厚生舎」 (後に合名会社) があり、こちらは昭和50年代初期まで存続していた。
県下には他にも 「厚生舎」
を冠する名称の乳業が複数あり、本店・支店/血縁/師弟関係など何らかの繋がりがあったと思われるが、仔細は不明。例えば昭和30〜40年代には、
厚生舎牛乳処理販売…福島市新町40
本宮厚生舎…安達郡本宮町仁井田字村山
厚生舎…須賀川市西2-24
厚生舎…白河市字郭内18
厚生舎…白河市昭和町99
(株)厚生舎郡山ミルクプラント/郡山市池の台140
加えて、他県にまで 「厚生舎」
を名乗る牧場さんがおり、流転変遷が気になるところである。上記
福島市新町の厚生舎牛乳処理販売所
(後に株式会社厚生舎福島支店) は、昭和45年 県下4つのミルクプラントと協業し
「福ちゃん牛乳」 の福島乳業(株)設立を見た。