雪印牛乳 雪印牛乳
雪印乳業株式会社
東京都新宿区本塩町13(東京本社)
北海道札幌市東区苗穂町六丁目1番1号(札幌本社)

www.snowbrand.co.jp

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<カツモトとカツゲンを巡る話>

カツゲンは現在、メグミルク「ソフトカツゲン」(500/1000ml・紙パック)として販売されている乳酸菌飲料。北海道のみの流通だが、ご当地でのブランド認知度は非常に高く、消費者の懐古嗜好もあって レモン牛乳りんご牛乳的な”隙間ドリンク”のポジションを確立しつつある。日本ミルクコミュニティ時代に入ってから、商品展開が異様に活発になり いちご/青りんご/冬みかん、果てはシークヮーサーカツゲンなど様々な風味の○○カツゲンが登場する事態となっている。

雪印カツゲンの小瓶と比較用の一合瓶(昭和30年代後期〜40年頃の瓶)

もともとカツゲンは、ヤクルトと同一線上の小瓶(40cc〜80cc)売りだった商品。雪印乳業の社史には、昭和31年に委託加工で発売、当初の販路は主に東北であったとの記述がある(後述するが、恐らくは札幌酪農牛乳株式会社よりの生産依頼だろう)。

その後 全国の主要都市で商われたが、濃い目の味が全く受け入れられず自然と北海道の販路だけが生き残り、昭和54年に紙パックへ移行するまで、独特のトックリ型小瓶が道民に親しまれてきたという。

画像左:雪印カツゲンの小瓶と比較用の一合瓶(昭和30年代後期〜40年頃の瓶)


◆活素(カツモト)という乳酸菌飲料

ここで歴史を遡る。昭和13年、雪印乳業がまだ「北海道製酪販売組合連合会」で、世の中は日中戦争が始まって間もない頃の話だ。当時、中支派遣軍の将兵にチフス・コレラ・赤痢などの(下痢を伴う)伝染病が蔓延し、日本軍は頭を悩ませていた。

”支那市場”の視察に訪れた当時の連合会会長は軍部から相談を受け、「ブルガリヤ菌を含み整腸作用がある」という触れ込みで提案したのが活素(カツモト)という乳酸菌飲料だった。上海衣糧廠から早速の生産納入依頼があり、昭和13年に現地に工場が建設され、製造が始まる。北海道から滅菌・加糖した原液を送り、希釈・瓶装を上海で行うボトリング方式で、主に傷病兵に支給されたらしい。

”軍御用達ドリンク”の評判が広まると内地からも引き合いがあり、北海道と大阪で生産・市販がスタート。ところが数年で製造は打ち切られている。戦況が悪化するにつれ、原材料の確保が困難になったのが理由のひとつだ。

◆カツゲンのルーツは活素(カツモト)?

なにしろ商品名や命名イメージが似通っている上に、両方ともが雪印所有ブランドの乳酸菌飲料だから、「カツゲンのルーツはカツモト」と考えたくなる。商標を雪印乳業から受け継いだ、日本ミルクコミュニティによる果汁などのFAQにも、

カツゲンの名前の由来は? 活力の源で「カツゲン」と命名いたしました。「活素(カツモト)」という名前で、昭和13年に傷病兵と軍需工場向けに販売され、昭和20年頃「活源」という名前になったようです。


との記載があり、活素(カツモト)との繋がりに言及している。実際、根拠資料がないものの、「カツモトルーツ説」は公式見解として社内的に引き継がれているようだ。雪印への問い合わせに基づいて、その説を紹介する個人/商用サイトもいくつかある。

◆カツゲンは似て非なるもの?

そんな常識?をひっくり返すインタビュー記事が、北海道文化の豆知識を掲載する「なまらむ〜ちょ」というサイトに掲載されている。カツゲン誕生秘話がそれだ。当時、在道の農協系ベンダであった札幌酪農牛乳(株)に勤務し、カツゲンの命名、ロゴ製作から昭和31年の発売、商標登録に至るまでを担当された古老への聞き取り調査である。

詰まるところ、カツゲンは札幌酪農牛乳(株)が初手から開発・販売したもので、命名の由来は瓶にも書かれているキャッチフレーズ 「活力の給源」が全て。そのネーミングは活素(カツモト)とは無縁のオリジナルだということらしい。

滅菌・加糖濃縮タイプの活素(カツモト)と、乳酸菌を生かしたまま出荷されるカツゲンの、製品種別の根本的違いは理解できる。両者は同じ乳酸飲料と言いながら、開発・生産手法は別物でそこは明らかに無関係だろう。しかしネーミングについては無意識のうちに ”インスパイア” されたのでは…という気がしなくもない。

カツゲンは確かに、後に雪印の製品となった。昭和30年時点で既に、札幌酪農牛乳は雪印乳業と資本提携を結んでおり、36年には雪印と合併、吸収されている。発売後たちまち人気となり売れ線となったカツゲンはしかし、雪印の希望によりその合併を待たずに委譲されてもいた。社史で言及されている昭和31年の「委託加工で発売」という記述は、その動きを窺わせる内容だろう。

◆ヤクルト襲来!乳酸飲料攻防線

当時から既に乳酸飲料市場で圧倒的な勢いだったヤクルトの”北海道初上陸”を迎え撃つべく、昭和31年のカツゲン発売は突貫作業で準備が進められていたという。結果的には、カツゲンそのものは道内の確固たる抵抗勢力として存在するに留まった。

しかしその後売り出された「スノーラック」(昭和32年)、とりわけ 地域ごとの味覚嗜好を反映した”改良型カツゲン” 「雪印ローリー」(昭和34年)は全国的な成功を収め、ヤクルトの専制支配に大きな楔を打ち込む。

画像右:雪印カツゲンの中吊り広告(昭和37年)

雪印カツゲンの中吊り広告(昭和37年)

明治パイゲンC、森永マミーなど同列にあった後発組ライバルと比べても、全く引けを取らない戦果だ。とはいえ やはりどうしようもなくヤクルトは強い。いまでも往時と同様の形(普通のドリンク類とは一線を画す小容量パッケージ主体)で存続しているのはヤクルトぐらいで、パイゲンにいたっては情けなくも終売である。


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<牛乳のむ子は頭がよい〜神話の街宣>

工場見学にやって来た子どもたちを洗脳すべく、各乳業はこぞって脅迫文書を作成していた!

雪印乳業のしおり(昭和40年代初期)

工場見学の記念に配布されたしおり(昭和30年代中期)
画像上:工場見学の記念に配布されたしおり(昭和30年代中期)
画像左:パンフレット「雪印乳業のしおり」(昭和30年代後期)

アメリカの小学校(特殊学級)で、クラス毎に生徒への”牛乳投与量”を差別化したところ…全く飲まなかったクラスで最も落第生が多く、一日あたり1本、2本と多く飲んだクラスのほうが優秀であった、という 凄まじい統計の大紹介。

そのすぐ隣に 「各国々民牛乳・乳製品消費量」 の棒グラフを添え、日本がぶっちぎりの最下位であることが示されている。

掲載の画像は、それぞれ配布時期は異なるが いずれも工場見学時にばら撒かれた印刷物。裏を返せば 「牛乳を飲まないと馬鹿になりますよ」 という調査結果を引き合いに出しているわけで、今の感覚だと実に危ういセンスである。学習成績の良し悪しに絡む構成要素はあまりに多く、その中から特定の要素だけを取り出し比較するのは至難の業だろう。信憑性が疑わしい。

数字から見て、明治乳業が配布していたパンフレット(⇒<頭のおくれた生徒に牛乳を>)と全く同じ統計の引用だ。恐らく当時、在米の何らかの団体/研究者がリポートしたものと思われるが、出自は判然としない。


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