森永牛乳 森永牛乳
森永乳業株式会社
東京都港区芝5-33-1(本社)
www.morinagamilk.co.jp

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<なかよしびん〜異形のホモちゃん>

昭和28年10月、森永乳業は “ホモ牛乳計画” の一環として、最後に二合瓶のリリースに踏み切る。[森永乳業五十年史] 上では 「仲よしビン」 と表記されるこの製品、今ひとつ伸び悩んで数年で製造中止となった。

なかよしびん新聞広告(昭和20年代後期) 第10期営業報告書/裏表紙(昭和29年)
画像左:なかよしびん新聞広告(昭和20年代後期) / 画像右:第10期営業報告書/裏表紙(昭和29年)

当時はあくまで宅配牛乳が主流だ。森永側は、本来二本持って行くところを一本で済むのだから、倍のマージンはなくて良い…と考えた。しかし販売店は歩合制でやっている。(一合瓶から)全部切り替われば素直な話だが、実際はごく一部の移行で計算が難しく、配達人のマージンと折り合わない。

一合瓶と二合瓶(なかよしびん)の比較

販売店主からは 「一合瓶は牛乳の容器であると同時にコップであると言う考えが日本では未だにある。これが瓶の大型化を妨げている」 との指摘もあった。

それでも、工場生産ベースで全体の2割にまで達し、その後しばらくして流通し始めた500cc瓶装は、特段宣伝もしないのに自然と伸びてきている― 昭和42年刊行の社史は 「なかよし」 をそんな風に締め括った。もう一年早く、各家庭に冷蔵庫があったら なんていう回想が出てくる時代の話である。

大容量化を目指すのに、360ccはいささか中途半端なところ。売り上げの “伸びしろ” はまだあった というようなニュアンスを社史からは読み取れるが、500ccへのシフトに重きが置かれたのだろう。

小売容量の増加予測は明治乳業の座談会も参考になる。

画像左:一合瓶と二合瓶(なかよしびん)の比較
なかよしびんの仔細:山村硝子S30年製・360cc底面陰刻

協同乳業のテトラパック大失敗もそうだが、消費・販路の拡大に伴う輸送の最適化は大手各社にとって頭の痛い問題だったのだろう。やがて紙パックの品質向上・大躍進で劇的に片付いてしまった課題ではあるが…。


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<森永製品のいろいろ>

森永コーヒー牛乳のちらし 森永エース牛乳のちらし

◆コーヒー牛乳の発売(昭和32年7月)

この製品特有の濃厚な風味が他社を圧し〜インスタント時代の朝食用コーヒーという発売計画時に予想しなかった新用途がひらかれ、アパート地帯に大きな需要が生まれたのはうれしい誤算であった。 [森永乳業五十年史] より

コーヒー牛乳自体は戦前からあったもので、初めて製品を売り出したのは当時神奈川にあった守山乳業らしい。リンク先に当時の細口王冠瓶の写真が小さく載っている。

この細口王冠瓶、どこかで箱ごと初だしされたらしく、平成17年頃から骨董市場へ大量に出回っている。


画像左:森永コーヒー牛乳のちらし / 森永エース牛乳のちらし
(いずれも昭和40年頃)

◆森永A牛乳の発売(昭和33年1月)

森永J牛乳(ジャージー牛乳)が濃厚牛乳として既にあったが、ジャージー種特有の青草様風味が一般に好まれなかった。
[森永乳業五十年史] より

そこで登場したA(エース)牛乳ということらしいが、名前に恥じない定番商品に成長して、今でも堂々の現役ブランド。半世紀近く続いている濃厚系加工乳の代名詞だろう。この時期に各社とも競って上位グレードの製品を売り出している。大手では「雪印スーパー牛乳」「ゴールド明治牛乳」「名糖クラウン牛乳」「グリコ デラックス牛乳」「小岩井特農牛乳」 あたりが同一線上の製品だ。


◆フルーツ牛乳の発売(昭和34年7月)

同じく社史より。「まったく牛乳が嫌いな人にも容易に親しめるように甘みと酸味、果汁の風味を配合した新しい飲料として開発された」 との記述。まるでフルーツ牛乳は森永乳業が初めて世に送り出した飲み物であるかのごとき表現だが、実は三大乳業中、最後発である。

関東圏ではいつからか いちご牛乳ばかりが幅を利かせる状況になってしまった一方、関西圏ではその逆であるというのは有名な?話。

画像右:森永フルーツ牛乳のちらし(昭和40年頃)


森永フルーツ牛乳のちらし(昭和40年頃)
牛乳瓶型のパンフレット(昭和30年後期)

◆森永コーラスは意外と古参

森永コーラスは、昭和初期開発、戦時中の統制強化による資材入手難から市販が中絶、乳酸飲料としては国内でも最も古くから発売されていた製品のひとつだが、中絶期間が長かったため戦後の新製品として思われている。
[森永乳業五十年史] より


画像左:牛乳瓶型のパンフレット(昭和30年後期)

◆現行の広口瓶の採用(昭和9年)

当時、牛乳瓶はビール瓶の王冠のような細口瓶と、ヨーグルトのような広口瓶との二種が主流で、キャップは午前製造が青、午後製造が赤色だった。

森永は昭和9年、牛乳瓶の口径を現在のような中口瓶に変えた。これは当時、ドイツ型中口瓶と称されていたもので、本邦初。瓶の重さが10匁(=37.5g)減少し、価格面でも割安。他社が追随したとか。

森永乳業の製品案内(昭和40年代中期)森永乳業の製品案内(昭和40年代中期)
画像上:森永乳業の製品案内(昭和40年代中期)

◆ポリエチレンフードの採用(昭和32年10月)

それまでは各社とも「掛け紙」と称するように紙製のフードであった。紙と言っても無地ではなく、面積の広さを生かして牛乳キャップ以上にデザインに凝ったものが多く、多色刷りで面白い出来。現存数は少なく、立派なコレクターズ・アイテムだろう。


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