名糖牛乳 名糖牛乳
協同乳業株式会社
東京都中央区日本橋小網町17-2(本社)
www.meito.co.jp

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<実は失敗に終わっていたテトラパック>

名糖といえば、日本で始めての紙容器、テトラパック入りの牛乳を売り出したことで有名だ。このことは協同乳業のWebサイトにも「紙容器の利用に先鞭をつけた」と誇らしげに書かれている。

スウェーデン・テトラパック社よりテトラ牛乳充填機10台を輸入し、生産販売が開始されたのは昭和31年6月。「業界に革新的新風を吹き込むもの・消費スタイルの一大変化」 とマスコミから持て囃されたが…。


画像右:テトラ牛乳のポスター(昭和31年)

テトラ牛乳のポスター(昭和31年)

・瓶と比べて割高な包装コストを増産によってカバーできず
・輸送中、パックが破れて汚損することがあり
・末端小売価格が壜装と同じなのに、卸値は瓶詰め製品より高く販売店の旨みに欠け
・店頭直接販売を重視、既存の牛乳配達所を軽視して不興を買った
・重視していた店頭販売も、スーパーマーケット等の大規模小売が未発達で
・回収を必要としない利点も、当時の人件費はまだ安く、あまり意味をなさない
・中身が見えない牛乳に対し、消費者の不安は根強かった
・長持ちする との宣伝が効きすぎ、店先で適切な冷蔵がされなかった

など、諸問題が噴出し現実には販売量が意外に伸びず、昭和34年、完全に製造を中止している。無用の長物と化したテトラ向け工場設備・余剰資材は経営を著しく圧迫、後の経営難にも繋がった。

集乳地域を踏み荒らされ怒り心頭の [森永乳業五十年史](昭和42年・同社刊) は勿論この失敗にも触れ、「一社による魁(先駆け)的商法は、一般消費者の理解を得られない」 と嫌味を書いた。その後、昭和59年に刊行された [協同乳業30年史] は、自社に対する [森永乳業五十年史]上の言及をそっくり引き写し、”森永の支配から農民を解放した意義は大きかった” とやり返している。なんともスケールのでかい口喧嘩だ。

話を紙パックに戻すと…時は流れ昭和40年代、スーパーマーケット等の大規模小売業が発展し 流通ルート・消費スタイルの変化が巻き起こる。再び紙パックは脚光を浴び、瓶製品は急速に市場から姿を消していった。協同乳業はテトラパック中止のあと、製造ラインを壜装用設備に作り直しており、機が熟したその時は皮肉にも 同業他社に追随する形で一からの出直しを強いられている。


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<名糖に合流・合併したブランド>

協同乳業の社史は、吸収した組織の履歴・当時の経営状況、なぜ合併に至ったのか? といった付帯情報が全般的に細かく書かれていて面白い。他乳業の社史では余程のトピックスが絡まない限り、傘下に収めた事業体の来歴などに触れることはない。名糖の愛、だろう。雪印乳業のように買収した工場が多いといちいち言及してもいられないだろうが…。

ブランド統一前の市乳製品(昭和30年代初期) ブランド統一前の市乳製品(昭和30年代初期)

ぐんらく牛乳 (長野県飯田市・下伊那郡酪農協同組合連合会)
西多摩牛乳 (東京都西多摩郡・西多摩郡酪農業協同組合)
多摩牛乳 (東京都南多摩郡・多摩酪農農業協同組合)
秋広牛乳 (東京都北多摩郡・秋広畜産興業株式会社)
みづほ牛乳 (山梨県甲府市・山梨瑞穂乳牛農業協同組合)
扶桑牛乳 (愛知県・扶桑乳業株式会社)
平和牛乳・朝日牛乳・開拓牛乳 (静岡県・三方原開拓農村工業農業協同組合)
あだたら牛乳 (福島県・安達太良酪農協同組合)
利根牛乳 (茨城県・茨城県利根酪農協同組合)
星ミルクプラント (福島県会津若松市)
湘南保証牛乳 (神奈川県高座郡)
アルプス牛乳 (長野県松本市島立区・アルプス牛乳株式会社)
保証牛乳 (愛知県・名古屋保証牛乳株式会社)
*商い銘柄不詳 (長野県大屋・大沢乳工業株式会社)

ほとんどが昭和30年前後の統合事例で、この頃に協同乳業の生産/営業基盤が確立されている。市乳事業への進出は非常に遅く、昭和31年5月。それも合流した下伊那郡酪農協組連の設備を用い、既存銘柄(ぐんらく牛乳)の続投によって。つまり、当初は「名糖牛乳」が存在しなかった。

市乳製品のブランドが満を持して「名糖」へ統一されるのは昭和32年5月のこと。東京総合工場の落成・稼動に伴い、一斉に切り替えが進められた。ちょうどこの時、テトラ牛乳が新発売となっている。

こうした事情により ごく短期間ながら延命を果たすのが上掲の写真にある5銘柄。「名糖牛乳」誕生前の空白を埋め合わせるように、合併後も販売が続いたわけである。このうち、西多摩牛乳秋広牛乳みづほ牛乳扶桑牛乳、後に委託生産を通じて実質名糖傘下となった湘南保証牛乳星ミルクプラントについて現物を回収できたため、それぞれの地域の牛乳瓶として掲載した。

とりわけ扶桑牛乳の瓶装は、「名糖アイスクリーム」や「名糖バター」はあっても「名糖牛乳」のなかった当時を窺い知るのに最適だろう。ひとつの瓶に異なる乳業のブランド名が相乗りするのは珍しい。しかもわざわざ二色刷りである。

◆秋広牛乳のエピソード

伊豆大島は日本の酪農(乳牛飼育)史上 最も長い伝統を誇る地域のひとつで、なかでも秋広家は有名な存在だったとか。昭和31年に合流した秋広畜産興業の生い立ちについては協同乳業の社史にも詳しいが、Webで探してみると タイムスリップ 波浮の港 というページに面白いエピソードが載っている。

秋広平六家の6代目 豊之助の四男 義之は進取の気性に富んだ人であった。大東亜戦争中、府中に秋広牧場を開き、戦後牛乳不足のときは、秋広牛乳を日本赤十字病院に納入、都内各地に販売店をを設け、後、名糖の重役として迎えられた。

…重役として迎えられた、という表現は ちょっと聞こえが良すぎるかも知れない。 [協同乳業10年史] 上では、”同族経営の限界に直面し、協同乳業との合併を決定した” と書かれている。(⇒秋広牛乳/関東地方の牛乳)


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