農協マーク 特 集 - 農 協 マ ー ク の 牛 乳 瓶

“の(うぎょう)”の字を○に見立て、稲穂(に限らず主要作物を表す)と“協”の字を囲んだ懐かしの「農協マーク」。昭和23年、「農業協同組合記章図案募集」により公募選定されたものだが、農協系の生産者さんであっても牛乳瓶のデザインに必ず採用するわけではなく、意外と数は少ない。現行CIの“JA”ロゴは平成4年から。街の看板もすっかり入れ替わってしまった。

農協系ミルクプラントは運営母体となる地域酪農協の統廃合が激しく、市乳事業(処理施設)が他の酪農協の工場として統合されても、元の組織は存続しながら合併改称の流転を繰り返すため、追跡が少し厄介である。

例えば掲載の三春牛乳は、昭和50年に処理施設や販売権が酪王牛乳(福島県酪連)に移行(⇒三春牛乳のその他のビン)。しかし生産者であった御木沢農協さん自身は別途、その他の近隣農協と合併、改称。その後、幾歳月を経て、合併後の農協が更なる大統合を果たした結果、結局みんな酪王牛乳銘を商う大型農協に集約されていく…という展開。県下では会津酪農協(会津/会酪牛乳)も全く同様の流れを辿り、過去の独自ブランド取り扱い状況を判断しにくい。


本郷牛乳本郷牛乳 三春牛乳三春牛乳 南酪牛乳南酪牛乳
本郷牛乳

本郷農業協同組合
長野県東筑摩郡本郷村91-1
八ヶ岳酪農に営業譲渡(S34年)・廃止
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和20年代後期〜30年代初期
三春牛乳

御木沢農協三春ミルクプラント
福島県田村郡三春町大字平沢字担橋
酪王牛乳に統合(S50年)・廃止
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期〜中期
南酪牛乳

南部酪農協⇒南日本酪農協同(株)
宮崎県都城市東中野町2622
市乳事業合同分社化(S35年)・廃止
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

素朴な書体とデザインで目を引く本郷牛乳。[八ヶ岳酪農協同株式会社 十周年史](昭和39年・同社刊)に、本郷農協の市乳処理施設・販売権買収の記述がある。正式なブランド名は瓶に記載の通り「本郷ホモゲン牛乳」。「ホモ(牛乳)」は森永の登録商標だったから、当時はホモゲナイズド(均質化)処理を色々と違う略し方で言わざるを得なかった。赤ん坊のキャラクターは製瓶会社/乳業資材代理店のテンプレートだったらしく、全く同じイラストが県下の山本牛乳さんでも使われている。

八ヶ岳酪農協同は設立当初から経営協力を通じ雪印系の乳業であったため、昭和34年、本郷村農協の施設を松本工場として操業させるに伴い、旧来の銘柄は消滅してしまう。その工場も短命で昭和39年、委託契約の解消に伴い閉鎖。ところが同40年になってから、本郷牛乳株式会社(本郷村大字浅間)が登場、地場乳業として復活した形跡が残っている。

その後の流転は良くわからない。同40年代中期には完全廃業、本郷村は49年に松本市に編入され、地名そのものが消えてしまった。現在、八ヶ岳酪農協同は八ヶ岳乳業に改称され、八ヶ岳牛乳というオリジナルブランドで瓶製品も出している。

タペストリー風の組合旗?をあしらったレトロデザインが際立つのは南酪牛乳。後に南日本酪農協同(南日本/デーリィ牛乳)設立の中心的存在となる、宮崎県南部酪農協・往年の独自ブランドである。もともとは宮崎県酪農協(宮崎牛乳)の都城支所であったが、方向性の違いから昭和26年に分派独立して発足。その際は同じく都城市内に工場を構えていた日向農民公社(都城牛乳)との連携も考えたが頓挫した…というエピソードも残っている。

昭和35年の会社法人設立を境に「南酪牛乳」銘は廃止されたようで、掲載の瓶は丁度その寸前くらいの時代にあたる。大躍進を遂げた南日本酪農協同については該当銘柄の項に譲るが、今や西日本一帯に確固たる営業基盤を築いた同社も、この頃は極めて小規模な一地方のミルクプラントに過ぎなかった。

(この項下段に続く)


酪連牛乳(霧島集約酪連)酪連牛乳(霧島集約酪連) 静岡牛乳静岡牛乳 クミアイ牛乳クミアイ牛乳
酪連牛乳(霧島集約酪連)

霧島集約酪農業協同組合連合会
宮崎県都城市郡元町字尾曲4593
雪印乳業に営業譲渡(S38年)・廃止
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
静岡牛乳

静岡県経済農業協組連⇒静岡県乳業(株)
静岡県静岡市中田町1941
三協乳業に施設売却(S50年頃)・製造委託
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和40年前後
クミアイ牛乳

静岡県経済農業協組連⇒静岡県乳業(株)
静岡県志太郡大井川町相川1200-6
三協乳業に施設売却(S50年頃)・製造委託
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

酪連牛乳は、同じく宮崎県下の「霧島集約酪農農業協同組合連合会」が商っていた統一ブランド。なんとも仰々しい団体名だが、“集約酪連”を名乗る農協組織は今も各地方に点在する。当時の農林省が昭和29年から始めた「高度集約酪農振興施策(計画)」の対象となったのがその由来。品質・競争力・自給率向上のため酪農業の大規模化・合理化を促す国策で、指定地域には各種の助成事業も行われた。

霧島集約酪連は、昭和38年にミルクプラント一切を雪印乳業へ譲渡、独自銘柄は消滅。以降も生乳出荷団体として存続したが、昭和40年に同じく集約地域指定を受け活動していた尾鈴集約酪連と合併し、その後は宮崎県酪農業協同組合連合会として再出発している。

「経済連」(静岡県経済農業協同組合連合会)の文言が、何だか牛乳に似つかわしくない?お堅い印象の静岡牛乳(⇒静岡牛乳のその他のビン)。あまり馴染みのない組織名だが…農協は市町村単位・生産者単位の集まりで、経済連は都道府県単位・農協単位の集まり、と解釈すれば分かりやすい。詰まるところは、大仕掛けの農協団体である。

静岡牛乳は、生産当事者・ブランド変遷がちょっと複雑。ブランド創立から昭和50年頃まで一貫して農協主体の運営となっているが、中途で静岡県乳業(株)設立により生乳出荷と処理販売部門を分離。以降は同乳業が出荷系列別に異なるブランド、「クミアイ牛乳(静岡牛乳の後継銘柄)」銘と「県乳MILK(後にケンニューMILK)」銘の並行生産をしていたらしい。
(⇒静岡県経済連の紙栓/静岡県乳製品販売の紙栓/牛乳キャップとは?)

昭和50年頃からはミルクプラントを三協乳業へ売却、処理委託の形で独自銘柄を存続させ、三協乳業が解散した平成12年以降、今度はフクロイ乳業静岡牛乳協同組合へ委託先を鞍替えし、「クミアイ」「ケンニュー」の灯をともし続けている。

(この項下段に続く)


成羽牛乳成羽牛乳 岐西牛乳岐西牛乳 農協牛乳(本巣酪農)農協牛乳(本巣酪農)
成羽牛乳

成羽町農業協同組合
岡山県川上郡成羽町大字下原435
市乳事業撤退・廃止(S40年代後期)
山村硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
岐西牛乳

岐西酪農協組⇒本巣酪農協組
岐阜県本巣郡糸貫村仏生寺880-3
工場閉鎖・銘柄廃止(H12年頃?)
石塚硝子製・市乳180c.c.底面陰刻
昭和30年代初期〜中期
農協牛乳(本巣酪農)

本巣酪農農業協同組合
岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺713
工場閉鎖・銘柄廃止(H12年頃?)
東洋ガラス製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代

前面に銘柄表示、背面に農協マークを据えた典型的デザインの成羽牛乳。同じく岡山県川上郡にあった川上町農協(川上牛乳)さん同様、昭和40年代には自家製造・独自銘柄を廃止。以降は出荷団体として他乳業/他農協のミルクプラントへ生乳を卸す立ち回りになったようす。平成16年、近隣農協とともに びほく農協へ合流、成羽農協さんの名前は消えてしまった。

サインペンで書いたような丸っこい筆致、豪快な農協マークが鎮座する「しんせんな牛乳」岐西牛乳。岐西酪農さんは昭和41年前後に近隣(酪)農協と合併し本巣酪農へ転身、参画組織の全容は判然としないが、処理施設は居抜きで本巣酪農の牛乳工場として継承された。運営母体が変わってからも“岐西牛乳”銘は引き続き商われており、本巣酪農の「農協牛乳」と平行して複数ブランドの商品展開をされていたようである。

平成12年、乳業再編施設整備事業によって長らくの操業を果たした糸貫町のミルクプラントもついに廃止。美濃酪農農業協同組合連合会(ひるがの牛乳)の北濃工場へ処理が集約される形となり、前後して岐西〜本巣系統の独自銘柄は消滅したようす。県下では同時期に東酪牛乳城山牛乳も整理統合の憂き目に遭った…と考えられる。

(この項下段に続く)


米内沢農協 農協牛乳(高原町農協)農協牛乳(高原町農協) 農協牛乳(北阿萬農協)農協牛乳(北阿萬農協)
米内沢農協

米内沢農協酪農部
秋田県北秋田郡森吉町米内沢字上野
市乳事業撤退(S37〜38年頃)・廃止
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
農協牛乳(高原町農協)

高原農協牛乳処理場⇒小林地区農協組
宮崎県西諸県郡高原町大字西麓555-1
市乳事業撤退(H10年代)・廃止
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和40年代初期
農協牛乳(北阿萬農協)

北阿萬農業協同組合
兵庫県三原郡南淡町筒井1710
市乳事業撤退(H10年代)・廃止
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜40年代初期

巨大な農協マークが映える米内沢農協の瓶。KUMIAI BRAND MILK の標示から想像するに前段の静岡県乳業等と同じく「クミアイ牛乳」銘での商いだったと見られるが、仔細は不明。地元の図書館に同農協史が所蔵されているようなので、機会があれば確認してみたいところだ(国会図書館にも未収蔵の地方郷土史・マイナー企業史は意外と多い)。

「クミアイ牛乳」は酪農協系ブランドに多い命名で、製造元を辿るのが時に困難となる無個性銘柄。瓶だけを入手して何か調べようとしても組織を確定できず、その歴史を辿るのが難しいケースも出てくる。最も恐ろしいのは下記に示す「農協牛乳」だ。

そのまんま農協牛乳銘を売り出していたのは兵庫・北阿萬農協と宮崎・高原(たかはる)町農協さん。日本全国津々浦々、無数に存在していた組織である。仮に“組合の名入れ”がなければ瓶の出自を辿ることは殆ど不可能となり、調べる者にとっては恐ろしい命名の仕方だ。例外的とまでは言えないが、単純に「農協牛乳」銘を商う(酪)農協は少数派ではあった。

高原町農協は昭和49年に近隣農協と大合併、小林地区農業協同組合として なお「農協牛乳」を生産出荷していたが、平成10年代に自家生産・独自銘柄の廃止に至ったようす。北阿萬農協も同時期に自前の市乳事業を辞めてしまったらしい。

(この項下段に続く)


小千谷ミルクプラント小千谷ミルクプラント 種山高原牛乳種山高原牛乳 通津牛乳通津牛乳
小千谷牛乳

小千谷ミルクプラント(小千谷市農協)
新潟県小千谷市大字千谷川561
市乳事業撤退(H元年前後)・廃止
石塚硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代中期
種山高原牛乳

岩谷堂農協牛乳処理場⇒江刺市農協
岩手県江刺市字六日町86-4
市乳事業撤退(H元年前後)・廃止
山村硝子製・正200cc側面陽刻
200cc移行後〜昭和50年代
通津牛乳 (500cc瓶)

通津牛乳(松本岩雄)
山口県岩国市通津3357
廃業(H2〜3年頃)
東洋ガラス製・1/2L側面陽刻
昭和50〜60年代

小千谷牛乳種山高原牛乳も、ブランドこそ消えてなくなったが農協さんとしては現役。今も組合員には酪農家を擁しているはずで、搾乳全量は他乳業への供給となっている…ものと思われる。少し意外に感じられるのは、過当競争のただなか平成の頃合まで生き残こりを果たしていた点だろうか。本稿に掲載した銘柄群については、粘り強い農系プラントが多い。

こうして並べてみると一目瞭然、全国で統一規定されていたように思える農協マークだが、全てが微妙に(時には大胆に)それぞれデザインを異にしており、CIの発想が浸透した現在では考えられないような混沌ぶりを見せている。種山高原牛乳などは特に顕著だろう。稲穂の描き方や「協」の字のバランスなど、比較しながら見るとちょっと面白い。

極め付けはオーラスの通津牛乳、農協マークならぬ酪農協マーク。稲穂に替わり乳牛の飼料、麦藁をイメージしたようだ。上位団体による公式制定ロゴではなく、通津酪農(通津農協)さんオリジナルのシンボルと思われる。紙栓の標示は古くは「通津酪農(通津農協)・松本岩雄」さん名義。後に「通津牛乳・松本岩雄」さんと名乗るようになった。県下の久賀牛乳さん同様、昭和40年代中期以降にミルクプラント経営が組合から個人(元の組合長さん)へ移ったようだ。
(⇒通津牛乳の紙栓/牛乳キャップ昭和時代、同・紙栓/牛乳キャップ収集家の活動ブログ)

こちらも平成まで存続を果たすも間もなく廃業、ブランドは消滅。kazagasira氏によるとご当地は現在、土木工事会社の事務所になっているらしい。電話帳を確認したところ、牛乳瓶と同じ電話番号・乳業工場名簿と同じ住所に、(株)松本組という名前が載っていた。ご商売替え…というより、牛乳工場の兼業を断念されたような流れ?と想像している。


■本郷牛乳
設立> 不明ながら戦後
昭31> 本郷村農協組・村上康也/長野県東筑摩郡本郷村浅間91-1
昭34> 八ケ岳酪農協同(原・八ヶ岳乳業)に営業譲渡
昭36> 八ケ岳酪農協同(株)松本工場/長野県東筑摩郡本郷村91-1
昭40〜43> 本郷牛乳(株)/長野県東筑摩郡本郷村大字浅間
電話帳掲載・公式サイト> 未確認
銘柄廃止> 昭和34年?「本郷牛乳(株)」時代の仔細不明

■三春牛乳
三春牛乳(御木沢農協)の項に詳述のため割愛

■南酪牛乳
設立> 昭和27年、南部酪農農業協同組合として
昭31〜34> 南部酪農組合/宮崎県都城市東中町2613
昭35> 南日本酪農協同(株)を設立、南部酪農協の工場を継承
昭36> 南部酪農組合/宮崎県都城市東中野町2622
※以降、南日本酪農協同(デーリィ牛乳)の項に詳述のため割愛
電話帳掲載> 宮崎県南部酪農業協同組合/宮崎県都城市下長飯町2351-2
銘柄廃止> 「南酪牛乳」は昭和35年頃に廃止、「南日本牛乳」のち「デーリィ」銘へ移行
公式サイト> 南部酪農協としては未確認

■酪連牛乳
設立> 昭和32年前後?
昭34> 霧島集約酪農協組連/宮崎県都城市郡元町字尾曲4593
昭36> 雪印乳業(株)に買収され、同・都城工場となる
昭40〜43> 雪印乳業(株)/同上
昭46> 雪印乳業(株)都城工場/宮崎県都城市郡元町字尾曲4577-3
昭50> 同上/宮崎県都城市大字郡元4577-3
昭56〜平04> 同上/宮崎県都城市郡元町4577-3
平14> 集団食中毒事件に係る経営再建計画の一環として市乳製造を中止
工場閉鎖> 平成16年
電話帳掲載・公式サイト> 未確認
銘柄廃止> 昭和38年

■静岡牛乳・クミアイ牛乳
静岡牛乳(フクロイ乳業委託)、県乳ミルク(静岡牛乳協同組合委託)などの項に詳述のため割愛

■成羽牛乳
設立> 不明
昭31> 成羽農業協組・平松幹章/岡山県川上郡成羽町大字下原435
昭34〜40> 成羽農業協組/同上
昭43〜46> 同上/岡山県川上郡成羽町435
平10> びほく農協と合併
平16> 川上郡成羽町は周辺市町との合併により高梁市となる
電話帳掲載> JAびほく 成羽総合センター/岡山県高梁市成羽町下原680
銘柄廃止> 昭和40年代後期
公式サイト> http://www.ja-bihoku.or.jp/ (JAびほく)

■岐西牛乳・本巣酪農
設立> 不明ながら戦後
昭31> 岐西酪農々業協祖・神山常雄/岐阜県本巣郡席田村仏生寺880-3
昭34〜36> 岐西酪農々業協祖/岐阜県本巣郡糸貫村仏生寺880-3
昭40> 岐西酪農協/岐阜県本巣郡糸貫村仏生寺
昭41〜50> 本巣酪農協/岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺
昭53〜60> 本巣酪農農協/岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺713
平04> 同上/岐阜県本巣郡糸貫町仏生寺715
電話帳掲載> 本巣酪農農協/岐阜県岐阜市粟野西7-169
工場閉鎖> 平成12年、乳業再編施設整備事業により
銘柄廃止> 平成12年頃?
公式サイト> 未確認

■米内沢農協
設立> 昭和23年
昭31> 米内沢酪農協・赤石元治/秋田県北秋田郡米内沢町米内沢字上野182-1
昭34〜36> 米内沢農協酪農部/秋田県北秋田郡森吉町米内沢字上野
昭53> 前田農協と合併、森吉町農協となる
平11> 近隣3農協と合併、あきた北央農協となる

電話帳掲載> あきた北央農業協同組合森吉支店 森吉・阿仁農機センター/秋田県北秋田市米内沢字上野135-1
銘柄廃止> 昭和37年前後?
公式サイト> http://www.ja-hokuo.jp/

■農協牛乳(高原町農協)
設立> 昭和40年代初期?
昭43> 高原農協牛乳処理場/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓555-1
昭46> 高原町農業協同組合/同上
昭49> 近隣農協と広域合併し小林地区農業協同組合となる
昭50> 小林地区農業協同組合/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓1321
昭56〜平04> 同上/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓3260
平09> こばやし農業協同組合へ改称
電話帳掲載> こばやし農協(高原支所)/宮崎県西諸県郡高原町大字西麓555-3
銘柄廃止> 平成10年代
公式サイト> http://kobayashi.ja-miyazaki.jp/

■農協牛乳(北阿萬農協)
設立> 昭和23年
昭34〜43> 北阿万農業協同組合/兵庫県三原郡南淡町筒井1710
昭46> 同上/兵庫県三原郡阿万上町筒井1710
昭50> 同上/兵庫県三原郡南淡町筒井1710
昭56> 同上/兵庫県三原郡南淡町新田中字古池
昭60〜平04> 北阿萬農業協同組合/兵庫県三原郡南淡町新田中字古池66-1
平17> あわじ島農業協同組合に吸収合併される
電話帳掲載> あわじ島農業協同組合 北阿万支所/兵庫県三原郡南淡町筒井1710-2
銘柄廃止> 平成10年代?
公式サイト> http://www.ja-awajishima.or.jp/

■小千谷牛乳
設立> 不明ながら戦後
昭31〜34> 小千谷郷畜産農協連合/新潟県小千谷市大字千谷川
昭36〜40> 小千谷ミルクプラント/新潟県小千谷市大字千谷川561
昭43> 掲載なし
昭46> 小千谷市農業協同組合/新潟県小千谷市城内1-14-4
昭50〜60> 小千谷ミルクプラント/新潟県小千谷市大字土川字沢田214
電話帳掲載> JA越後おぢや/新潟県小千谷市城内4-1-55
銘柄廃止> 平成元年前後
公式サイト> http://www.ja-e-ojiya.com/

■種山高原牛乳
設立> 不明
昭09> 佐藤玉三郎/岩手県江刺郡岩谷堂町
昭30> 岩谷堂町は周辺9村と合併して江刺町となる
昭31> 佐藤玉三郎/岩手県江刺市字六日町86-4
昭33> 江刺町は市制施行して江刺市となる
昭34〜36> 岩谷堂農業協同組合/岩手県江刺市字六日町86-4
昭40> 岩谷堂農協牛乳処理場/岩手県江刺市岩谷堂字六日町86-4
昭43〜56> 同上/岩手県江刺市岩谷堂字堂ノ木165
昭57> 近隣農協とともに江刺市農業協同組合へ統合
昭60> 江刺市農協牛乳処理場/同上
電話帳掲載> JA江刺/岩手県奥州市江刺区岩谷堂字反町362-1
銘柄廃止> 平成元年前後 ※江刺農協時代もブランドは継続?
公式サイト> http://www.jaesashi.or.jp/

(小規模な分工場と思しき掲載分・全て昭和37〜38年頃に閉鎖)
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昭31> 米田稔/岩手県岩手郡岩手町大字沼宮内7地割4
昭34> 同上/岩手県岩手郡岩手町大字沼宮内7
昭36> 岩谷堂農業協同組合/岩手県岩手郡岩手町大字沼宮内7地割
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昭31> 佐藤源三郎/岩手郡岩手町大字沼宮字江刈内
昭34> 同上/岩手県岩手郡岩手町大字沼宮内7 ※住所取り違い?
昭36> 岩谷堂農業協同組合/岩手県岩手郡岩手町大字沼宮字江刈内
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昭09> 久保市太郎/岩手県岩手郡松尾村 ※以下戦後との関連不詳
昭31> 久保彦蔵/岩手県岩手郡岩手町川口第9地割23
昭34> 同上/岩手県岩手郡岩手町第9地割23
昭36> 岩谷堂農業協同組合/岩手県岩手郡岩手町第九地割

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■通津牛乳
設立> 不明
昭31> 通津農協組・石川宗一/山口県岩国市通津2567
昭34> 通津農業協同組合/山口県岩国市通津2587
昭36> 通津村農業協同組合/同上
昭40> 通津農業協組/山口県岩国市通津2567
昭43> 掲載なし
昭46〜50> 通津牛乳/山口県岩国市通津3357
昭56〜平01> 同上/山口県岩国市通津3379
電話帳掲載> (株)松本組/山口県岩国市通津南町3357
廃業> 平成2年前後?
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



漂流乳業