目黒の柿ノ木坂に山羊牧場がある時代というのも、ピンと来ないことおびただしい。現在
市乳としての流通は皆無に近いが、昭和30年代、山羊乳はそれなりにポピュラーな飲みものだった。
我が国の山羊飼育は、戦前には「自給飼料で飼育できる自家消費に適した家畜」として発展し、戦後は食糧不足と農地の荒廃を背景に飼育ブームとなり、昭和32年には飼養頭数で67万頭に達した。
しかしながら、その後酪農が推進される中で、山羊飼育は飼養戸数及び頭数の減少が続き、山羊乳生産は、主に自家消費用として推移している。また、山羊肉生産は、沖縄県等の地域限定的な需要に対応し、沖縄県、鹿児島県等で行われている。
なお、山羊乳については、これまで自家消費がほとんどであったが、食の多様化等を背景として、山羊乳販売、チーズ・アイスクリーム等への加工販売のほか、機能性食品としての研究開発も一部行われている。(⇒家畜改良増殖目標(めん羊・山羊)の検討状況/農林水産省) |
本邦初の山羊乳専門ミルクプラント、東京都山羊農業協同組合の処理施設が目黒にできたのは昭和28年。その時の様子を報じる昔の新聞記事が、Asahi.com東京版のコラムに引用・紹介されたことがあり、詳しい状況が分かってきた。
日本ではじめてというヤギ乳を処理する工場が、このほど目黒区柿ノ木坂二九五
「東京都山羊農業協同組合」
内にできました。ヤギのお乳は牛乳と比べてクサ味が強かったので、同組合では農林省から補助金をもらい、クサ味をぬいて、バイキンを殺す立派な機械をそなえたのです。
これからはおじさんたちの労力もはぶけ、能率もグンと向上、八百五十頭いるヤギから二石(二千本)もとれるそうです。二十五日の落成式を前に大きなオッパイをぶらさげたヤギさんは「メエ、メエ」と大喜びです。(⇒【泉麻人の東京版博物館】目黒のヤギ乳工場) |
一合瓶換算で日産2000本の供給能力を持っていたというから、それなりの規模感だ。山羊の飼育頭数は約850頭で、これは柿ノ木坂にあったらしい併設牧場だけでなく、組合員全体の話だろうか?
農協には都下複数の山羊飼育事業者が参画しており、その一部が大手紙器加工メーカーの資料室に保存されていた、かつての
“山羊乳キャップ” から見て取れる。
安藤牧場/目黒区高木町1511
碑文谷牧場/目黒区碑文谷2-2190
三島山羊園/目黒区衾町105
臼田牧場/太田区馬込町東1-1263
各牧場が目黒のミルクプラントへ原乳を持ち込み、統一ブランド
「東京山羊乳」 として殺菌・瓶詰め。キャップの製造者標示は
「東京都山羊農協」
を名乗るものもあるが、上掲の通り個別の事業者名が書き込まれたフタもまた多く、商流については今ひとつ不明な点が残る。
昭和30年代初期には早くも撤退、処理施設一切を他乳業へ売却したようだ。掲載の瓶は、打刻の西暦から初代瓶装に間違いない。ごく僅かな操業期間から推せば、最初にして最後のデザインだったとも思える。
「竕(デシリットル)」標示が昭和初期を偲ばせる大塚山羊牧場の90ccスクリューキャップ仕様瓶。往時の牛乳瓶にもしばしば採用された封緘形式で、金属製のフタを用いたようだ。この頃合の銘柄印刷瓶は非常に珍しい存在。まだ大抵はエンボス・浮き彫りの時代である。
いっぽう、木野山羊乳処理所は [全国乳業年鑑] に
“木野乳業処理所”
として掲載されている。個人経営牧場の便宜的な事業所名で、多少のブレがあるのだろう。「小兒の栄養」
という文言がいかにも時代を感じさせる。下記の青葉牧場さん共々、昭和40年代中期に廃業。
ビタミン牛乳(部)とやぎ乳(部)の共用瓶だったらしい青葉牧場の一本。何となくデザインが似ているが、木野山羊乳の福島に対し、こちらは富山にあった牧場さん。恐らくいずれも、明治牛乳(1)番瓶あたりに “触発”
されたフォーマットである。
現在の山羊乳を探してみると、宮崎・中村牧場(山之口山羊乳肉組合)では
「やぎみるく」 一合瓶を250円で売っているようす。やはり全国でも珍しいケースのようで、アグリネットにその活動を紹介する番組がある。また沖縄・はごろも牧場や北海道・乾牧場でも生産中らしい。
山羊乳そのものは一般に癖の強い風味を持つと言われ、また環境中の臭いを吸収しやすく
後味がちょっとヤギっぽい…と感じることもあるみたいだ。飲み慣れるまでが大変?かも知れない。