いかにも沖縄らしい聞こえのブランドだが、平成10年代に廃業され、銘柄は消滅。昭和40年代初期の頃までは「真志喜(ましき)牛乳」銘での商いだった経緯があり、その名残がロゴマークに残っている。片仮名の「マ」を環状に4つ、その中に「キ」の字を据えて「マシキ」と読ませる言葉遊びだろう。(⇒関連:南新乳業・ヘルス乳業)
掲載瓶は機械写植の文字と各種の標示・打刻形態から、(1)番瓶が本土復帰(直)前、(2)番瓶が昭和50〜60年代、更に平成まで続いたもの…と想像している。
南風原(はえばる)村の町制施行は昭和55年。(2)番瓶記載の住所が相当し、比較的新しい頃合いの牛乳瓶であることを裏付ける。或いはこの瓶装が最終世代であったのかも知れない。
(1)番瓶についても時代的には「要冷蔵」の注記くらいあって良さそうなものだが、内地とは法令に違いがあり、標示義務もまた異なったのだろう。
住所や電話番号・屋号の刷り方に統一規格でも存在していたのか、大川牛乳さんや仲本牛乳さんの瓶と基本デザインが酷似している。仔細は知名牛乳さんの項に譲るが、県下には中小ミルクプラントの協業連合が存在し、瓶に限らず牛乳キャップも似たような作りが多い。
独特の可愛らしい書体で訴える「空瓶は必ずお返し下さい」の文言は、当時の瓶に全国的に散見されるもので、製瓶会社/乳業資材代理店の用意したテンプレートだったようだ。県外では広島・中郷牧場さんがその一例である。