宮崎協乳宮崎協乳

(記事下段)

宮崎協乳

宮崎協同乳業(株)
宮崎県都城市蔵原町2323-3
石塚硝子製・180cc底面陽刻
昭和30年代後期〜40年代初期

昭和36年、宮崎県酪農業協同組合(宮崎牛乳)、児湯酪農業協同組合、日向農民公社(都城牛乳)の三者が合同で設立した乳業。

大手進出に伴う業界の再編が加速する状況下、市乳処理と余剰乳加工の合理化・大規模化を期しての船出。ミルクプラントは日向農民公社の既存施設がそのまま使われた。

立ち上げ当初より森永乳業が出資参画しており、37年になると早速森永ブランドの委託製造を開始。宮崎地区における「森永ホモ牛乳」展開の端緒となった。

併せて宮崎協乳としての独自銘柄も展開していたようで、掲載の瓶が存在する。ラインナップ仔細は不明。恐らくメインの牛乳は森永、傍系の乳(酸菌)飲料やヨーグルト類を宮崎協乳…という棲み分け・併売取引がなされていたものと想像している。

◆森永時代の流転・変遷

昭和41年前後?に宮崎市鶴島へ工場が別途新設され、[乳業年鑑]上では「森永乳業(株)宮崎工場」として昭和46年から掲載が始まる。この段階で完全に森永傘下となったようす。更に53年頃には同市・郡司分へ移転、森永宮崎乳業(株)という法人名で定着した。

都城・鶴島の2拠点生産期が少なくとも数年間あり、2拠点間では品目・ブランド別の生産役割分担があったものと思われるが、仔細は不明。

以後 鶴島の工場は長らく操業を続けたが、森永の九州地方における生産拠点を系列子会社の熊本乳業(くまもと牛乳)と九州森永乳業(福岡県)に集約・効率化を図るため、平成21年に至り森永宮崎乳業(株)は解散、工場は閉鎖となった。

酪農史誌には昭和41年に森永宮崎乳業誕生との記述がある一方で、解散に伴う森永乳業のニュースリリースでは昭和33年の設立とされる。宮崎協乳を興した3社のうち、母体と位置付けられた組織の設立年をひいている可能性が高いが、どこを指しているのかは良く分からない。

― 参考情報 ―
森永宮崎乳業解散へ 月内に臨時株主総会 (47NEWS)
森永乳業/100%子会社解散へ (LNEWS)
宮崎協同乳業(宮崎森永乳業)の紙栓 (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)
森永宮崎乳業の紙栓 (牛乳キャップとは?) / 同・紙パック製品 (愛しの牛乳パック)


設立> 昭和36年
※宮崎協乳は「乳酸菌飲料処理工場」としての掲載のみを確認
※昭和30年代、40年代極初期の乳業年鑑には掲載なし

昭43〜46> 宮崎協同乳業(株)/宮崎県都城市蔵原町2323-3
電話帳掲載> 未確認
銘柄廃止> 「宮崎協乳」ブランドは昭和46年前後の廃止
会社解散・工場閉鎖> 昭和46年頃?

※以下、森永系列・牛乳工場としての掲載確認分
開設> 昭和41年前後?
昭46〜50> 森永乳業(株)宮崎工場/宮崎県宮崎市鶴島2-10-23
昭53〜平04> 森永宮崎乳業(株)/宮崎県宮崎市大字郡司分甲1277-1
電話帳掲載> 同上 ※当時
会社解散・工場閉鎖> 平成21年
公式サイト> 森永宮崎乳業としては未確認

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。
創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



漂流乳業