デーリィ、というよりはむしろ乳性炭酸飲料・愛のスコールでお馴染み、今や西日本一帯に強固な販路を持つ堂々の準大手乳業さん。ブランドそれ自体は全国区でないものの、資本系大手の地方進出に抗する盤石の広域ミルクプラントへ成長した。
商い始めは昭和35年。宮崎県・南部酪農協(南酪牛乳)を中心に鹿児島県下3酪農協が参画した共同出資会社設立による(⇒会社概要/同社公式サイト)。当初はそれでも
「極めて弱小の農系プラントで、零細規模の生産」
だったというから隔世の感があるだろう。
昭和40年代極初期までは 「南日本牛乳」 銘、現行ブランド
「(南日本)デーリィ牛乳」 の誕生は昭和41〜42年頃か?
デーリィ牛乳(1)番瓶は “NANRAKU”(南部酪農協)
という名称を中途半端に残しており、デーリィ草創期の一本と窺える。
真ん中にビッグな南日本、めちゃ力強い肉太ロゴ、壮大な地球儀のイメージで飲む者を訳もなく圧倒するデザインが秀逸な200cc移行後の(3)番瓶。ちょっと珍しい日本耐酸瓶工業の謹製。
遡って(2)番瓶は判断に苦しむが、200cc時代の加工乳専用一合瓶?
敢えて 「180cc」
を印刷標示するあたり、既にして増量を済ませた時代たる所以だろう
(同様デザインの200cc瓶も存在する)。200cc移行直前の頃合には、白牛乳が詰まっていた可能性はある。
いっぽう、森永ホモ牛乳・なかよしびんを想起させるフォルムは(4)番瓶、堂々の250cc入り。珍しくも中途半端な増量容器で、デーリィ牛乳以外での採用は未見のものだ。
“親密銘柄” として福岡・ニシラク乳業(ニシラク牛乳)が存在。以前から協業体制にあったようだが、平成6年に南日本酪農協同が資本参加するに伴い関連会社化、「デーリィ」
銘の共有や委託製造を通じコレクターをやや混乱させる間柄…となっている。
瓶製品は健在も、早々にプラ栓+シュリンク包装の新瓶を採用・導入。印刷瓶は姿を消した。
会社設立を境に廃止された南部酪農協としての独自ブランド
「南酪牛乳」 を、特集-農協マークに掲載中。南日本酪農協同のマイルストーン的な?銘柄である。
◆鹿児島大学・郡元キャンパスの遺跡から
当時の農林省が学校給食向け牛乳の標準容量を増量策定した昭和45年以降、それまで一合瓶での小売が当たり前だった牛乳は、大手・中堅業者を中心に全国的に一本200ccへ転換した。
ところが南日本酪農協同さんは、デーリィ牛乳の200cc転換を、もっと早い段階で進めていたらしい。
右の写真は、上掲の(1)番瓶同様、“NANRAKU”(南部酪農協)表記を伴う200ccの水色瓶。「要冷蔵」
標示はなく、日本硝子の会社略号が底面に打刻されているという変り種である。
画像右:郡元キャンパスの工事中に出土した瓶(昭和40年代極初期)…鹿児島大学・埋蔵文化財調査室様撮影
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この瓶の写真は、鹿児島大学の埋蔵文化財調査室様よりお送り頂いたもの。同大学の郡元キャンパスは、その全域が古くは縄文時代からの遺跡となっており、構内工事の際には出土物他の調査をされているという。
今回、農学部のゴミ捨て場として使われていたらしい敷地の一角から
“出土”
したデーリィ牛乳の瓶についても、廃棄年代を確定し歴史的に位置づけたい…ということで
「漂流乳業」
をご覧頂いたという流れ、好事家にとっては実に興味深いお話だった。
大学側より南日本酪農協同さんへ問い合わせたところ、昭和41年に使用していたことは分かったものの、発売年・流通年ともに不明確…なのだとか。そこで、収集家としてこの瓶を見るに…
(1) 「NANRAKU DAIRY」 の標示から推して昭和40年代極初期のビン
⇒それ以前は 「南日本牛乳」、40年代中期以降は
「NANRAKU」 標示がない筈
(2) 「要冷蔵」 の標示がなく、また製瓶会社略号を底面に伴うことから昭和43年以前のビン
⇒昭和43〜44年以降のビンには 「要冷蔵」
標示あり、底面には打刻がなくなる
(3) 商号のみ標示ではなく、「〜牛乳」 と謳っていることも43年以前の補強材料
⇒[表示公正規約] により、大半の会社は43年に商号のみ標示ビンに切り替えた
というような見解をお伝えした。実は、この写真の瓶を見て気付かされたのは、森永牛乳(10)番瓶との相似性である。昭和43年以降に始まる
「要冷蔵」 標示が、45年以降の出来であるはずの200cc瓶にない、ということが時代感に合わず、長らくの謎となっていた。
鹿児島大学から出土した瓶と森永牛乳(10)番瓶はいずれも日本硝子製で、その会社略号は底面に打たれている
(43年以降のビンは、全て側面に打刻されている)。側面の容量標示は
「200cc」 のみを浮き彫り、前述の通り 「要冷蔵」 もない…
展開地域やラインナップは限られていたと思われるが、どうやら大手メーカーの中には、昭和40年代極初期
早くも200cc化へ踏み切った事実が存在するようである。
加えて酪農史誌によれば、200ccへ至るポテンシャルは随分古い時代から存在した。昭和33年当時の話として、「牛乳の消費拡大が叫ばれるなか、34年にメートル法が施行されるのを機会に、200cc瓶が製瓶業界で試作されている」
という言及が既にある。
― 参考情報 ―
優秀畜産表彰・H17年度・高千穂牧場
(宮崎畜産ひろば)