川酪牛乳川酪牛乳 川酪ニコニコ牛乳川酪ニコニコ牛乳
川酪牛乳

川内酪農業協同組合
鹿児島県川内市鳥追町2502-1
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期
川酪ニコニコ牛乳

川内酪農業協同組合
鹿児島県川内市平佐町3832
大和硝子製・正180ml側面陽刻
昭和40年代初期

季節変動する散漫な牛乳需要に個人業者は受乳制限、大手乳業工場へは早朝汽車便による遠隔送乳の不便…地元酪農家の生乳出荷安定・合理化を実現する “身近な処理販売組織” となるべく、昭和29年に設立された酪農協さん。

組合結成を境に、参入した酪農家は森永乳業への出荷を停止。「余剰乳処理が大変だろうから、取引自体は継続を」 との県担当部署や森永の意向を無視し敢然と独立志向を貫いた。

しかし、発足後数年経過すると…市乳売り上げ伸び悩み・粗悪バター在庫山積み・販売代金の回収悪化などで窮地に陥り、昭和32年には鹿児島県酪農業協同組合に団体加入しつつ、森永への余乳出荷を始める一幕もあったとか。

利益率の高い乳酸菌飲料市場が活況を呈し、学校給食牛乳制度の確立で生産割り当て枠・予算補助ともに増加、勢いを取り戻すのが昭和34年の頃。

ついに鹿児島で市乳 (森永ホモ牛乳) 販売に乗り出した鹿児島森永乳業(株)の再三に渡る系列化・併売取引を拒絶し自力運営路線をあくまで継続した。

◆ブランドの変遷と現在

川内(せんだい)酪農のブランド変遷仔細を周辺経緯から想像するに、立ち上げ当初は川酪(せんらく)牛乳、昭和36年から40年代初期まで川酪ニコニコ牛乳を併せて取り扱い、同40年代中期に 「(川酪)農協牛乳」 銘へ一本化…という流れを辿ったものと思われる。

“ニコニコ” 銘は、昭和36年に技術指導・販売支援を仰ぐべく全酪連(ゼンラク牛乳)へ加入したのを契機に誕生したと思しきブランド。しかし「ニコニコ牛乳」は広島県東部酪農協組連が商っていた伝統の商標である。彼らは古くから全酪連の系統会員であったから、メンバー同士 何らかの由縁あって 「川酪ニコニコ牛乳」 という傍流が生まれてきた?のだろう。

独立農系プラントとして長らく操業を続けたが、平成4年に鹿児島中央酪農協、鹿児島県酪農協、鹿児島地方酪農協と合併、新しい鹿児島県酪農業協同組合として再発足するに至った。

その後、県酪農協は平成10年頃?に市乳処理・販売部門を分社化し、鹿児島県酪農乳業(株)を設立 (工場設備は旧・川内酪農のミルクプラントを転用)。同乳業は乳業施設再編合理化の 「集約先工場」 のポジションにあって、二度の増設によりその規模は拡大傾向にある。

現在は合併前から鹿児島県酪が商っていた 「県酪農協牛乳」 を統一ブランドとして生産しており、シュリンク包装ながら旧来タイプの印刷瓶が現役のようすである。

― 参考情報 ―
先人の苦労、 後輩の励みに-40年の回顧録出版 (畜産情報ネットワーク)
全酪系・農協マーク…の牛乳キャップ (ほどほどCollection)
川内酪農の牛乳キャップ (ぎゅうにゅうのふた)
鹿児島県酪農協組の牛乳キャップ (牛乳キャップのページ)
鹿児島県酪乳業のキャップ (牛乳キャップとは?)


設立> 昭和29年
昭36> 川内市酪農業協同組合/鹿児島県川内市鳥追町2502-1
昭38> 平佐町へ工場を移転
昭40> 川内酪農協組/鹿児島県川内市平佐町3832
昭43> 同上
昭46> 川内酪農業協同組合/同上
昭50> 同上
昭56> 同上
昭56> 国分第一酪農協同組合のミルクプラント・営業権を買収
昭58> 川永野町へ工場を移転
昭60> 同上/鹿児島県川内市川永野町6478-10
平04> 同上
平04> 薩摩地区の3酪農協と合併、鹿児島県酪農業協同組合となる
平10頃?> 処理・販売部門が鹿児島県酪農乳業(株)として独立
電話帳掲載> 鹿児島県酪農乳業(株)/鹿児島県薩摩川内市川永野町6478-10
銘柄廃止> 平成10年代?に 「川酪」 銘入りの製品は廃止されたようす
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。
創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



漂流乳業