日鉄ミルク (1)日鉄ミルク (1) 日鉄ミルク (2)日鉄ミルク (2)
日鉄ミルク (1)

日鉄ミルク/日鉄二瀬ミルクプラント
福岡県嘉穂郡穂波村枝国666
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代初期〜中期
日鉄ミルク (2)

日鉄ミルク/西田産業(株) 若菜牧場
福岡県穂波郡穂波町若菜47-2?
石塚硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期

製鉄/炭鉱業の全盛期、そこで働く労働者と家族の牛乳需要を賄うために、独立したミルクプラントを併設することが少なからずあった。名称から判断できる範囲では、北海道と秋田に複数の例があり、いずれも目を引く独特の事業者名や住所となっている。

福岡には日鉄鉱業(株)・二瀬鉱業所嘉穂鉱業所(万筑穂町大分字山神)にそれぞれ処理場があり、「日鉄ミルク」 銘を取り扱っていた。掲載の2世代はいずれも二瀬側の瓶と見込まれ、嘉穂のほうでも同じようなデザインであったかどうかは不明である。

もとは明治32年に発足した官営製鉄所二瀬出張所が日本製鉄(株)二瀬鉱業所に改組・改称され、最終的には昭和15年の日鉄鉱業(株)設立により生まれたブランド。厚生事業として二瀬鉱業所にミルクプラントができたのは昭和24年、西田産業(株)への処理委託による。

その後、昭和37年(38年?)に二瀬鉱業所が閉鎖されて以降の流転は情報が纏めにくいのだが、酪農史誌によればミルクプラントは穂波郡穂波町若菜に移転、西田産業自ら市乳事業を開始した…とある。

この時、西田産業としてどんな銘柄を商っていたか?は判然としないものの、(2)番瓶には 「西田産業KK 若菜牧場」 の標示が入り、流通は二瀬鉱業所の閉鎖後、継続して 「日鉄ミルク」 を捌いていた頃合の瓶、という想像も可能だろう。

一方で、[全国乳業年鑑] 上の掲載では、昭和39年より福岡県飯塚市に西田産業の牛乳処理工場が出現、同43年まで同じ場所で運営されていた形跡が認められた。

数年間の不明瞭な操業期間を経て、情報が繋がるのは昭和41年、名糖産業と西田産業の共同出資により名糖協同乳業(株)が設立された時である。工場所在地は若菜にあり、酪農史誌の記述と一致。名糖ブランドとなって以降の仔細は、名糖牛乳(協同乳業)の項へ譲りたい。

嘉穂鉱業所の閉鎖は昭和45年。こちらのミルクプラントは継承・移転されず同時に廃止となったようで、「日鉄ミルク」 銘の歴史はこの時点で完全に途絶えたと考えられる。

県下にはその他にも、

永田鉱業(株)植木牛乳処理場…鞍手郡植木町東平池
貝島燃料工業(株)…鞍手郡宮田町上大隈712

などが存在し、独自銘柄を生産していたようである。流通量は極少なく販路も著しく限定されていた筈で、回収は至難の業と思われるが、機会があれば是非現物を拝みたいものだ。


■日鉄二瀬鉱業所
設立> 昭和24年、西田産業(株)への処理委託により
昭34〜36> 日鉄ミルク/福岡県嘉穂郡穂波村枝国666
昭37> 日鉄鉱業二瀬鉱業所が閉山
昭39〜43> 西田産業(株)/福岡県飯塚市上本町1111
電話帳掲載・公式サイト> 未確認
工場閉鎖> 昭和40年代中期?

■日鉄嘉穂鉱業所
設立> 昭和24年?二瀬側と同時期と思われる
昭34〜36> 日鉄ミルク嘉穂鉱業所/福岡県嘉穂郡筑穂町大分字山神
昭39> 日鉄鉱業嘉穂鉱業所/福岡県嘉穂郡筑穂町大分1985
昭40> 同上/福岡県嘉穂郡筑穂町大分
昭41〜43> 嘉穂牧場牛乳処理場/福岡県嘉穂郡筑穂町字山ノ神
昭45> 日鉄鉱業嘉穂鉱業所が閉山
電話帳掲載・公式サイト> 未確認
工場閉鎖・銘柄廃止> 昭和45年頃

■名糖協同乳業(株)
設立> 昭和41年、名糖産業と西田産業の共同出資により
昭43> 名糖協同乳業/福岡県穂波郡穂波町若菜47-2
昭45> 名糖乳業(株)へ改称
昭46〜56> 同上 ※改称反映せず
昭60〜平04> 名糖乳業(株)/同上 ※改称後の事業者名がようやく反映
平12> 乳業施設再編合理化により工場閉鎖、以降は製造を委託?
電話帳掲載> 名糖乳業(株)/福岡県飯塚市若菜47-2
公式サイト> 未確認

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。
創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



漂流乳業