森牛乳 (1)森牛乳 (1) 森牛乳 (2)森牛乳 (2)
森牛乳 (1)

森乳業(株)
埼玉県行田市大字忍171
山村硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代初期
森牛乳 (2)

森乳業(株)
埼玉県行田市大字忍171
大和硝子製・180cc側面陽刻
昭和40年代初期

往時の牧場風景が、田山花袋の小説『田舎教師』(明治42年)の一節にも登場した、県下で長い歴史を誇る現役のブランド。掲載はいずれも昭和40年代初期流通の八角瓶で、白物・色物など種類別の使い分けや世代の位置付けは判然としない。

正面に鎮座する不思議な感じのマークは創業家の家紋?のように見えるが、その由縁や何を記号化したものかすら分からず、類例を見つけられなかった。現行のトレードマーク(CI)である“わたぼく・WATABOKU”が制定される平成4年以前に使われていた商標だ。

県下で育ったチビッコには学校給食でお馴染みの銘柄、知名度も高い。以下、同社刊行の社史[森乳業九十五年史](昭和57年)より、創業〜成長期の話を纏めた。

◆法人設立の経緯

行田市は足袋を中心とした縫製業の盛んな土地柄であったが、昭和30年代に入り需要が激減、零歳の足袋メーカーは言うに及ばず、関連産業も壊滅的なダメージを負った。

破産した地場のミシンメーカーに勤めていた三友氏は、もともとミシンのセールスマンであって牛乳とは何の縁もなかったが、失職を機にヤクルトの販売店を始め、死に物狂いの2年間で日配6千本という堂々の大ベンダーへのし上がる。

「これだけの量を商っているなら、販売店ではなく処理ビン詰め(ボトラー)もやって、ぜひ一万本を目指してくれないか」

更なる拡売を期待するヤクルト埼玉営業所の申し出に、釣り仲間の人脈を頼って、三友氏は森牧場に辿り着く。

画像右:森乳業の小容量乳製品一覧(昭和57年)…標示公正規約を受け「森牛乳」から「森乳業」社名標示に変更されている。200cc瓶は旧来デザインからの素直な進化形。写真ではコーヒーの詰まっている一合八角瓶も、増量以前は白牛乳瓶装であったと見られる。

森乳業の小容量乳製品一覧(昭和57年)

当初はミルクプラントの一部を借りたい、というお願いに上がったつもりが、男手の不足していた森牧場は、「単に工場を貸すことはできない…どうせならヤクルトと森牛乳の営業地盤を合わせて、一緒にみんなでやらないか」と話のスケールを大きくする予想外の進展。

森乳業のリッター乳製品一覧(昭和57年)

こうして昭和32年、新たな人材を得て森乳業株式会社が発足。三友氏は専務として参画することになった。

夏季の生乳不足の際には、牧場創設者二代目夫人が亡夫と篤い親交のあった熊谷の鯨井乳業社長に掛け合うと、原乳争奪戦の厳しい状況も省みず、森乳業への斡旋を快諾してくれた、というエピソードも残されている。

画像左:森乳業のリッター乳製品一覧(昭和57年)…波打つ青と水色は、往時のイトーヨーカドーPB牛乳。幅の広い1.5リットルパックも見える。

◆学校給食で急成長、テトラパックへ移行

農林省が消費拡大のため学校給食牛乳(脱脂粉乳ではない生乳)の本格供給へ踏み切ったのは昭和32年。これには生産者乳価低迷打開を期した、大掛かりな国策という側面もあった。

市販に比べ卸値が安く、当時は「給食牛乳なんていつまで続くのか?既存の家庭宅配を大事にすべきでは…」という業界の懸念も根強かった給食政策だったが、森乳業は将来的に大きなメリットがあると考え本格進出する。

大手メーカーの囲い込み、農協系ミルクプラントの勃興に対し、企業化が遅れ販路拡大を妨げられていた同社にとって、突如現れた学校という巨大市場に活路を見い出し、突破口となす以外の選択肢はなかった…という状況でもあった。

画像右:森牛乳が納入された学校給食の風景(昭和40年代後期)…植木鉢型のテトラパック専用搬送ケースが懐かしい。木製の受箱や通い箱はアンティーク品としての価値も生じて比較的良く残っているが、この位の中途半端な時代のプラケースになると、逆に現物を見つけるのは難しい状況だろう。

森牛乳が納入された学校給食の風景(昭和40年代後期)

結果として給食重視の方針は森乳業を飛躍的に発展させる。昭和50年代に入り県下学乳供給の実に25〜35パーセントを占め堂々の第一位、二番手の業者にダブルスコア近い大差を付ける圧倒的占有率を誇るまでになった。

成長の代償?とでもいうべき同社自身の瓶装撤退は全国的にも早く、昭和45年に完成した新工場は既に紙パック(テトラパック)充填機に刷新されており、以降瓶製品は興真乳業(コーシン牛乳)、後にトモヱ乳業の製造委託となり、現在は足柄乳業(共和酪農)製造で存続しているが、プラ栓+軽量新瓶となっている。

テトラ推進の一因は行政側にもあり、新工場計画中の昭和45年に、埼玉県側から「ビン破損の危険性排除と学校の空きビン数量管理負荷減免」のため、全量を紙容器で納入するよう強い要望があったらしい。

新工場では早晩来るであろうこの変化を予測してワンウェイ容器に特化した製造レーンを計画していたが、結局新学期には間に合わず、一時期は雪印乳業の熊谷工場やゼンラクの東京新工場にテトラパック牛乳の生産を委託する羽目になったそうである。

― 謝辞 ―
森乳業の瓶製品委託状況など、kazagasira様にご教授頂きました。

― 参考情報 ―
森乳業の牛乳キャップ (牛乳キャップ昭和時代)
同・牛乳キャップ (牛乳キャップ収集家の活動ブログ)


創業> 明治20年、森牛乳店として
昭09> 森修/埼玉県北埼玉郡忍町忍
昭24> 忍町は市制施行し行田市となる
昭31> 森牛乳・森実/埼玉県行田市大字忍171
設立> 昭和32年、森乳業(株)として
昭34〜36> 森牛乳/埼玉県行田市大字忍171 ※改称反映せず
昭40〜43> 森乳業(株)/同上
昭45> 行田市富士見町に新工場を建設、漸次移転
昭46> 同上
昭50〜平04> 同上/埼玉県行田市富士見町1-3-2
電話帳掲載> 同上
公式サイト> http://www.morimilk.co.jp/

処理業者名と所在地は、牛乳新聞社「大日本牛乳史」・全国飲用牛乳協会 [牛乳年鑑1957年版]・食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



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