秩父牛乳 (1)秩父牛乳 (1) 秩父牛乳 (2)秩父牛乳 (2)
秩父牛乳 (1)

秩父乳業(株)
埼玉県秩父市大字大宮957
広島硝子工業製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜40年代
秩父牛乳 (2)

秩父乳業(株)
埼玉県秩父市大字大宮957
石塚硝子製・正200cc側面陽刻
昭和50年代〜平成5年頃

「美容と健康に秩父牛乳を!!」 ネズミの呼び掛けは少年の耳に届いているのだろうか? 「乳」 の字をひと瓶で四ヶ所も使った (そのうえ全部字体が異なる) 怒涛のデザインはしかし、(2)番瓶でだいぶ落ち着いた。ネズミも諦めて黙り込んでしまったようす。

創業は明治18年、秩父牛乳養成舎として発足。昭和18年に現社名へ改組・改称。長らく続いた個人経営の時代は昭和の終わりにピリオドを打ち、その後は地元の酪農協が事業を引き継ぐという、余り類例のないバトンタッチが行われている。

心機一転の再発足となった秩父乳業は順調に業容を伸ばしたかに見えたが、原材料価格の高騰や晩年に推し進めていた多角化経営 (行方不明の前社長による不動産売買などが主因とも言われる) が裏目に出てしまい、平成20年10月、自主再建を断念し民事再生手続きの申請に至る。負債総額は約16億円、現在は新社長体制で再建を模索中。

◆牛乳瓶の遍歴

秩父乳業の瓶製品は昭和50〜60年代に同県小鹿野町・戸田乳業への製造委託に切り替えられ、キャップ記載の製造者を戸田名義としつつ、自らは瓶装レーンを廃止している。200cc移行後には大幅なモデルチェンジもなく (2)番瓶のデザインが長らく踏襲されていた

しかし、平成に入ってまもなく 「彩の国牛乳」(戸田乳業さんによるオリジナルブランド?) が専用の印刷瓶で登場すると、間もなく統一キャップ採用となり、「秩父牛乳」 瓶装も紙栓は 「彩の国(牛乳)」 で封緘するような運用に変わって行ったようだ。

一方で 「彩の国牛乳」 専用瓶それ自体は姿を消し、やがてイメージを刷新した全く新しい「秩父牛乳」瓶が登壇、(2)番瓶の後継世代と同時に流通する状況に至る。もちろん紙栓は全て 「彩の国」 統一キャップだったから、何とも不思議な状況…ではあった。

掲載の200cc瓶は当時、西武秩父駅の売店で購入したもの。時代的には要冷蔵と一緒に “10℃以下” 併記があってしかるべきだが、キャップ側に記載されていたのが少しイレギュラーなところだろうか。各地の乳業でたまに見られるセパレート標示である。

学校給食向けの瓶詰め 「秩父牛乳」 は、民事再生後 大半が 「戸田牛乳」 へ変更となったようす。もとより委託製造していただけに、まったく無理のない交代劇?だっただろう。

― 参考情報 ―
秩父乳業が民事再生へ パルシステムの委託会社 (生協流通新聞/バックナンバー)
東京商工リサーチ 企業信用情報 (日経トップリーダーonline)
秩父乳業が民事再生手続きの開始し、保全命令 (自己破産と民事再生情報)
【主な債権者】秩父乳業(埼玉、牛乳・乳飲料製造・販売) (日刊横浜サイバー)


創業> 明治18年、秩父牛乳養成舎として
設立> 昭和18年、秩父乳業(株)に改組・改称
昭34〜46> 秩父乳業(株)/埼玉県秩父市大字大宮957
昭50〜60> 同上/埼玉県秩父市番場町3-9
昭63> 全秩酪農協(後に、けやき酪農協⇒埼玉酪農協)が経営権を取得
平01> 本社・工場を秩父市大字小柱へ移転
平04> 同上 ※移転先住所を反映せず
平20> 民事再生手続き開始を申立・負債総額16億円
電話帳掲載> 秩父乳業(株)/埼玉県秩父市小柱671-1
公式サイト> http://www.c-milk.co.jp/ (民事再生申請後は不通となっている)

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。
創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



漂流乳業