創業〜成長期の変遷仔細は不明ながら最晩年は協同乳業との関わりが深く、昭和35年に名糖ブランドの委託生産を始めるに伴い
「湘南保証」 銘は廃止となった。間もなく同38年、転向努力も虚しく廃業、工場は閉鎖。会社組織であったようだが法人格が判然としない。
当初は事業者名から保証牛乳グループの一員?と想像していたが、掲載瓶の通り商標・ロゴタイプともに共通性を認められず、特段の繋がりはなかったようだ。湘南保証のノベルティーコップを見る機会もあり、瓶と同様なデザイン・刷り色は緑であったと記憶している。
◆大型老舗販売店を巡る攻防
名糖との最初の繋がりは遡ること昭和33年。湘南地域の新規開拓・進出を決した同社が、拡売の橋頭堡を築くためにエリア内の既存有力販売店に対する鞍替え工作に乗り出した時だった。
該当地域は明治・森永・雪印の三巨頭が販売網を確立、その拡充と整備を懸命に進めていた時期。ところが
“大票田”
である地元・湘南保証牛乳系列の販売店は、店主自身が
(市乳処理業者の)
湘南保証の株主でもあるという特殊な間柄で、他社の説得を全く受け付けず、強固な団結を示していた。
とりわけ平塚市内の宅配市場を掌中に収めていた湘南保証系の老舗販売店は、顧客規模もさることながら周辺地区の他販売店にも影響力を持つモンスターベンダーであり、乳業各社が様々な条件を提示しながら熾烈な獲得競争を展開していた。
協同乳業もこの店舗で名糖ブランドを商って貰うべく総力を挙げるが、十数回に及ぶ訪問で一度たりとも玄関より先に進むことができない…しかし、ついに昭和33年9月、突拍子もない行動により店主を口説き落とすことに成功する。
その日、伊豆半島から南関東は、後に気象庁が「狩野川台風」と命名することなる超大型台風の上陸で大荒れ。最終的には死者・行方不明者が1200名を超す大被害をもたらした。
名糖の担当者たちは、これをライバル絶対不在・誠意披瀝の好機と捉え、猛烈な悪天候でずぶ濡れグチャグチャ、烈風に身を晒しつつ難攻不落の販売店訪問を決行。驚き感動した店主は硬直した態度を一転させ、「暴風雨下の異常な雰囲気のもと相互に信頼し感激的な取引契約が完了した」
のだと、協同乳業の社史は記している。
その後、名糖牛乳の販売網整備に弾みがついただろうことは想像に難くなく、他社にしてみれば
まんまとやられた、というところだ。
◆湘南保証牛乳の落日
口説き落とした販売店が、保証と名糖の併売だったのか、それとも名糖一本に転向したのかは不明だが、とにかく湘南保証牛乳は大手各社の攻勢にジリ貧の態となり、経営難に陥ってしまう。
既に有力販売店 (湘南保証の株主)
との繋がりを持っていた協同乳業は、神奈川県一帯の需要増に対応すべく、昭和35年から名糖牛乳の生産自体も一部委託していた。しかし管財人の支配下でようやく操業を続ける中、経営は一向に好転しない。
間もなくミルクプラントを丸ごと借り上げ、協同乳業・東京工場茅ヶ崎分工場として操業するに至り、事実上
「湘南保証」
の歴史は幕を閉じた。独自銘柄の廃止もこの頃になるだろう。時代の流れは更に厳しく、生産能力に劣るロートル工場はその後、昭和38年に閉鎖されてしまった。
◆謎の強化テクノロジー「ネオ照射」
末期流通と思しき掲載の一合瓶、線の強弱や図柄のチョイス、文字のアンバランスさなど実にとっ散らかった印象で、朴訥な手造り感は満点。稲妻模様が走る
「ネオ照射」 標示は、“ビタミン増強/添加”
の趣意だろう。かつての栄養強化系加工乳に良く見られたキーワードだ。
例えば大手では「ネオ明治牛乳」(後にビタ明治牛乳)、ローカル乳業さんの現行商品として埼玉県下に「大沢ネオ牛乳」などがある。大沢牛乳さんの古いノベルティーコップには、「ネオ照射」
という言葉がそのまま登場するタイプも確認されている。
照射と表現するからには単純にビタミン成分を混ぜるのではなく、何らかの装置による処理/加工がなされたものと想像できるが、具体的にどういった手法/理屈であったのかは良く分からない。