明治39年、興眞舎牛乳店として発足。法人化は昭和2年、興眞牛乳(株)設立による。更に同30年、興真乳業(株)へ改称すると、45年頃からブランド名を「コーシン」に統一し、近年になって
ついにコーシン乳業を名乗るようになった。
保証牛乳と同じく牛乳グッズ愛好家にはコップでお馴染みの銘柄。きっぷの良い一気飲みが印象的な女の子のイラスト、名前は「ピロコ」と言うらしい。商標登録上は
そんな名称で出願されている。かつて興真乳業さんの公式サイトで使われていたイラスト画像もpiroko.gifであった。
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掲載の瓶は残念ながらいずれもピロ子登場以前の古いもの。ガンヂー種
(ホルスタイン等と同様に、乳牛の一種)標示に時代の匂いを感じる。乳質・風味濃厚と言われるガンジー種を積極的に街宣し、こだわり続けた乳業さんで、ガンジー乳を混合したゴールデン牛乳を長らく商っていた。(⇒ゴールデンミルクとは?/ガンジーファーム)
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マスコットキャラクターのピロ子は昭和40年代後期?の誕生。牛乳瓶にもコップと同じように採用・プリントされていた。コーシン牛乳・瓶装は今なお健在だが、軽量新瓶の採用でデザインは極めてシンプルに、ピロ子も一線から退いたのか
その姿は見えない。
ちなみに明治期から使われているマキビシのような三角マークは、興真舎の創業者さん(古谷家)の家紋・剣片喰(けんかたばみ)から生まれたもので、親戚関係にある県下のフルヤ牛乳(古谷乳業)も同様の商標で商っていた。仔細はそちらをご参照願いたい。
創業期、原乳供給の要であった興眞舎・習志野牧場の牧場長さんは仏教に傾倒していたようで、大正7年に日蓮宗の修行者となって全国行脚へ旅立ち、運営から退いた。都下の老舗、和田牛乳店の婿養子さんであったが、このとき家族と財産を全てなげうった、というエピソードが残されている。(⇒<明治乳業に飲まれたブランド〜和田牛乳店>)
◆掲載瓶の意外な出所
旧字体・興眞牛乳(1)(2)番瓶は、解体業者さんが取り壊し家屋の縁の下から発掘。興真(2)番瓶は往時の旅客が持ち込んだのか?三宅島農協さんの残存瓶群に紛れ込んでいたもの。
そして(3)番瓶は何故か、興真牛乳とは全く無縁な、某大手乳業の関東地方にある拠点工場の倉庫に箱単位で仕舞い込まれていた瓶である。これまた関係のない、森永ヨーグルトの90cc広口瓶も大量に残されていたらしい。
リサイクル業者さんが資源回収に向かった際、(通常引き取る無地の軽量新瓶とは異なる)印刷瓶処分の依頼があったため、混ぜてしまっても良いかどうかを判断して欲しい…と、現場から再生工場へサンプルとして送られてきたものだ。これを望外のご好意により頂戴することができた。
こうして見ると、神出鬼没、思い掛けない場所から現れた瓶ばかりで、何だか妙な面白さがある。ちなみに、印刷瓶はインクに含まれる金属成分が再生製品に悪影響を及ぼすことがあるので、結局無地の瓶とは分けて処理/処分されたのだとか。