フルヤ牛乳フルヤ牛乳
(株)フルヤ牛乳店時代のPR用名刺(昭和29年)

画像上:(株)フルヤ牛乳店時代のPR用名刺(昭和29年)…恐らくこの3本が初代瓶だろう。一部判読不能だが、右側の瓶には三角マークの下に 「濃厚ホモジナイズ」 という趣旨のことが書かれている。
フルヤ牛乳

古谷乳業(株)
千葉県山武郡成東町成東町2-502
日本硝子製・正180cc側面陽刻
昭和30年代中期〜40年代初期

県下では中堅規模を誇る現役乳業さん。瓶製品存続も、一部の小容量ビンを除きプラ栓・無地瓶の採用で往時の面影は既にない。ラインナップが充実しているだけに残念なところだ。

近隣の興真舎(コーシン乳業)さんと親戚関係にあり、両社とも現在に至るまで代表者は同姓・古谷さん、である。創業メンバー、後の二代目社長はかつて興真舎・習志野牧場で働き、いっときは興真牛乳の販売店経営を任されていたこともあったという。

そんな由縁があり、掲載瓶にも確認できるフルヤ牛乳の三角マークは、興真牛乳のそれと全く形状が同じ。これは古谷家の家紋・剣片喰(けんかたばみ)に着想を得た興真舎の創業者さんによるデザイン。明治期から使われていて、県下では既にお馴染みのマークとなっていた。

昭和23年、それまでは特段の銘柄を標示せず商っていた市乳を、フルヤ牛乳の名を冠し売り出すことになった際、トレードマークとして三角マークを 「大伯父にお願いして使わせてもらった」 ということらしい。さすがに全く同じものは使えず、フルヤ牛乳のそれは図形の中を白く抜いている。

採用当時はともかく、後に両社が順調に成長を遂げると、フルヤとコーシンの商圏が県下で被る事も多くなった。三角マークは発展解消する運命にあったのだろう、正確な時期は不明だが、平成8年頃、古谷乳業は長らく拝借していた商標を現行の水玉模様の集合体にリニューアル、今に至っている。(コーシンも同時期に三角マークを取り止め、完全にお蔵入りの状態である)

遡ること昭和33年には雪印乳業からの合併申し入れもあったそうだが、これを拒否。フルヤ銘はコーシンに並ぶ千葉のご当地ブランドになった。

古谷乳業製品の集合写真(昭和41年)
古谷乳業製品の集合写真(昭和50年)
画像上:古谷乳業製品の集合写真(昭和41年)…全9種の瓶装が並ぶ夢の時代。掲載瓶も写っている。
画像下:古谷乳業製品の集合写真(昭和50年)…200cc移行後のラインナップ、まだ瓶が多く残っている。


ここまでの仔細は [古谷乳業30年史](昭和51年・同社刊) で明らかになった事柄だが、同書には他にも色々と面白いエピソードが載っている。明治や森永の社史と同じく、やはり座談会の収録部分は見所だ。以下にその一部をご紹介したい。

<古谷乳業30年史・座談会に見る危ない発言>
※前段の説明や中途経過など、文意を損ねない範囲で適宜省略した部分があります。

◆拡売活動のトラブルについて(昭和20年代中期)

司会者:大利根牛乳 (当時、銚子にあった地乳業) と喧嘩したことがありましたね。

当時の社長さん:ありました。あれは私どもが銚子に進出して1年くらい経った時です。保健所で牛乳屋の講習会があったんです。そこに大利根牛乳もきていて、得意先をくわれたと因縁をつけてきました。売り言葉に買い言葉で、そのうち、外に出て勝負をつけようということになりました。

保健所の脇の原っぱで双方が一列に並んで向かい合った
ところに、保健所の人がとんできて止めてくれました。まるでやくざの喧嘩のようでしたね。やくざといえば、チンピラを使ってうちの配達の後をつけさせ、嫌がらせをしたこともあります。(原文ママ・たぶん嫌がらせを受けた、の間違い)

社長の奥さん外に出る時は金づちを持って歩いていましたね。

◆涙ぐましい街宣活動(昭和20年代中期)

当時の社長さん:回収してきた瓶の中に押し込まれてキャップが入ったままのがあるでしょう。それを取り出して乾燥し、人の多く通る道路などにばら撒いたことがあります。表のフルヤ牛乳という文字がよく見えるようにしてね。宣伝のためでした。

◆金が乱れ飛んだ集乳戦争(昭和27年)

司会者:四街道の北総牛乳にかなりの原乳をとられたことがありましたね。

当時の工場関係者:その条件が大変なものでフルヤより2円高、そのほかに前渡し金40万円。

別の工場関係者:眠れない夜もありましたね。結局北総に走った酪農家は目先の利益に幻惑されたのでしょうね。北総のやり方は明日に責任をもたず、今日だけ嘘をつくというやり方でした。邪道は栄えませんね。

当時の社長さん:北総牛乳というのは練乳工場なのです。丁度そのころアイスクリームがはじまり、練乳相場が高かった。アイスクリームのメーカーが金を出して、北総牛乳に原乳を集めさせたのです。ところが翌年になると、アイスクリームが売れなくなって練乳が過剰になってしまったのです。こういうことがあって北総牛乳は昭和28年、倒産しました。

また別の工場関係者:それまでにも (酪農家を取り込み原乳を確保するため) 飲ませ食わせと、いうことはありましたが、金で原乳が動くというのは、初めての経験でした。

⇒練乳相場高に任せ、強気の買い付けに出た会社があったようだが…アイスクリームバブルは早々に溶けてしまい、価格は暴落。この練乳不況は全国規模で起こっていて、多くの事業者を苦しめた。他の酪農史誌・乳業史にも当時の困窮ぶりについての言及が散見される。例えば、山梨・みづほ牛乳などは、状況打開のために市乳の商いを始めた、という流れだ。

― 参考情報 ―
古谷乳業・成田工場のキャップ / 同・千葉工場 / 同・銚子工場 (牛乳キャップとは?)


本社・工場所在地を転々としつつ、成東・銚子・千葉の工場は閉鎖/営業所・物流倉庫へ転換。
現在の生産拠点は成田工場へ一本化されている。

■ 成東工場
創業> 昭和20年
昭23> 「フルヤ牛乳」 銘での市販を開始
設立> 昭和26年、(株)フルヤ牛乳店として
昭32> 古谷乳業(株)へ改称
昭34> 古谷処理場/千葉県山武郡成東町津部119 ※この年に閉鎖した旧工場
昭34> 古谷乳業(株)/千葉県山武郡成東町成東2-502 ※新工場
昭36> 古谷乳業成東工場/同上
昭40> 古谷乳業成東工場/千葉県山武郡成東町津部119 ※住所新旧取り違い?
※以降、乳業年鑑名簿上の掲載を確認できず
昭51> 成東工場は閉鎖

■ 銚子工場
昭24> 銚子工場新設
昭34> 古谷良作/千葉県銚子市清川町1-710
昭36> 古谷乳業銚子工場/同上
昭40> 同上
昭43> 同上
昭46> 同上
昭50> 同上
昭50> 銚子工場移転
昭56> 古谷乳業(株)銚子工場/千葉県銚子市松本町5-270
昭60> 同上
平04> 銚子工場は閉鎖

■ 千葉工場⇒成田工場
昭42> 千葉工場新設
昭43> 古谷乳業千葉工場/千葉県千葉市新港14
昭46> 古谷乳業本社工場/同上
昭50> 古谷乳業千葉工場/同上
昭56> 古谷乳業(株)千葉工場/同上
昭60> 同上
平03> 成田工場新設、千葉工場閉鎖
平04> 古谷乳業(株)成田工場/千葉県香取郡多古町水戸字水戸台1-16
電話帳掲載> 古谷乳業(株)成田工場/千葉県香取郡多古町水戸1-16
公式サイト> http://www.furuya-milk.co.jp/

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。
創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



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