掲載は六角・橙瓶と、その後継であろう八角・赤瓶の二世代。前者はもちろん後者も底面に容量打刻を伴っており、製瓶会社各社が六角⇒八角へシフトした頃合の初期型と見込まれる。
昭和45年前後に廃業、銘柄は消滅。牛舎併設の搾乳処理販売をされていたと思われるが、情報に乏しくその仔細を知ることはできなかった。
近隣の吉田郡松岡町(現・永平寺町)には本家筋にあたる?らしい同姓・辻岡さんのミルクプラントが戦前から操業しており、地名を引いて「松岡牛乳」銘を商われていた。こちらは昭和49年前後に自家製造を中止されて以降「明治牛乳松岡販売所」として
なおご経営が続いている。