東洋牛乳(松下健三)東洋牛乳(松下健三)東洋牛乳(松下健三)
東洋牛乳

小山正美⇒松下健三
岡山県西大寺市北之町1082
石塚硝子製・180cc底面陰刻
昭和30年代後期

西大寺市 (さいだいじ・昭和44年、岡山市と合併) に存在した個人経営の乳業さん。県下にはブランド名を同じくする東洋乳業(株)もあったが、これとは全く無縁・別個の「東洋牛乳」だ。

昭和40年代初期に廃業も当時の建物は残っており、路上観察ブログ・むにゅ’s のぉとさんが現地訪問、当時の経営者の奥さんから直接お話を伺った結果、仔細が判明した。

もとは小山氏が興したミルクプラントで、創業年は不明。昭和30年代初期の頃には、市乳売上げ低迷により受け入れ原乳のだぶつきが生じると、捌き切れずに腐らせてしまう有様だった。打開策として余剰乳を用いたヨーグルト製造に着手するも芳しくなく、運営は苦境に陥る。

大手乳業が資本力を武器に各地の牛乳屋を買収・拠点確保を進めていた時代。既に飽和状態・零細乱立であった業界であるから経営難も頷けるところ。例えば前述の東洋乳業も、まさしくこの頃合に森永乳業へ段階的に身売りしている。

その後、小山氏の知人?で各種の助言にあたっていた獣医師の松下氏(松下夫妻)は、事業継続に消極的になった同氏より、「東洋牛乳」の経営を引き継ぐことになった…という経緯があったらしい。この流れは、酪農乳業年鑑(後に全国乳業年鑑、食糧タイムス社刊)上の乳業名簿変遷とも合致しており、昭和35年前後の交代劇であったと推測できる。

松下氏は 「大阪・鵤(いかるが)牛乳の牧場」 に勤めていたが、この際 岡山県に移り住んだ。仔細は当該銘柄の項に譲るが、「鵤」 を名乗る牧場は親戚関係にある二つの組織があって そのどちらで働いていたのか?までは判然としない。

掲載の六角瓶は松下氏の事業引継ぎ後、経営状況好転せず 止む無く完全廃業に至る直前くらいの世代。光にかざすと薄っすらと「ヨーグルトン」のロゴマークが透いて見える。恐らく製瓶元がデッドストックの瓶を剥離剤で洗浄し、改めて東洋牛乳銘を印刷し直した “再利用瓶” だ。

同種は八角瓶も含めて複数の在庫があるが、他にも「高野ホモ牛乳」が薄く残っている瓶がある。リペイント瓶ということで、顧客乳業への卸値が少し安かったのだろう。

― 謝辞 ―
東洋牛乳の過去経緯等、むにゅ’s のぉと様、kazagasira様よりご教授頂きました。

― 参考情報 ―
東洋牛乳の配達用木箱 / 東洋牛乳その後 (むにゅ’s のぉと)


創業> 不明
昭34> 小山正美/岡山県西大寺市北之町1082
昭36> 松下健三/岡山県西大寺市西大寺
昭39> 同上
昭40> ※掲載漏れ?
昭43> 松下健之/同上 ※事業者名誤記?
電話帳掲載・公式サイト> 未確認
廃業> 昭和40年代初期

処理業者名と所在地は、食糧タイムス社 [全国乳業年鑑] 各年度版による。
創業年等の一部情報は公式サイト他からの引用あり。電話帳掲載の確認は平成19年時点。



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