西大寺市
(さいだいじ・昭和44年、岡山市と合併)
に存在した個人経営の乳業さん。県下にはブランド名を同じくする東洋乳業(株)もあったが、これとは全く無縁・別個の「東洋牛乳」だ。
昭和40年代初期に廃業も当時の建物は残っており、路上観察ブログ・むにゅ’s のぉとさんが現地訪問、当時の経営者の奥さんから直接お話を伺った結果、仔細が判明した。
もとは小山氏が興したミルクプラントで、創業年は不明。昭和30年代初期の頃には、市乳売上げ低迷により受け入れ原乳のだぶつきが生じると、捌き切れずに腐らせてしまう有様だった。打開策として余剰乳を用いたヨーグルト製造に着手するも芳しくなく、運営は苦境に陥る。
大手乳業が資本力を武器に各地の牛乳屋を買収・拠点確保を進めていた時代。既に飽和状態・零細乱立であった業界であるから経営難も頷けるところ。例えば前述の東洋乳業も、まさしくこの頃合に森永乳業へ段階的に身売りしている。
その後、小山氏の知人?で各種の助言にあたっていた獣医師の松下氏(松下夫妻)は、事業継続に消極的になった同氏より、「東洋牛乳」の経営を引き継ぐことになった…という経緯があったらしい。この流れは、酪農乳業年鑑(後に全国乳業年鑑、食糧タイムス社刊)上の乳業名簿変遷とも合致しており、昭和35年前後の交代劇であったと推測できる。
松下氏は 「大阪・鵤(いかるが)牛乳の牧場」
に勤めていたが、この際
岡山県に移り住んだ。仔細は当該銘柄の項に譲るが、「鵤」
を名乗る牧場は親戚関係にある二つの組織があって
そのどちらで働いていたのか?までは判然としない。
掲載の六角瓶は松下氏の事業引継ぎ後、経営状況好転せず
止む無く完全廃業に至る直前くらいの世代。光にかざすと薄っすらと「ヨーグルトン」のロゴマークが透いて見える。恐らく製瓶元がデッドストックの瓶を剥離剤で洗浄し、改めて東洋牛乳銘を印刷し直した
“再利用瓶” だ。
同種は八角瓶も含めて複数の在庫があるが、他にも「高野ホモ牛乳」が薄く残っている瓶がある。リペイント瓶ということで、顧客乳業への卸値が少し安かったのだろう。
― 謝辞 ―
東洋牛乳の過去経緯等、むにゅ’s のぉと様、kazagasira様よりご教授頂きました。
― 参考情報 ―
東洋牛乳の配達用木箱
/ 東洋牛乳その後
(むにゅ’s のぉと)