牛乳の生産販売を一手に行い農家経営の柱となす…昭和4年、無限責任
三福寺牛乳販売購買利用組合の誕生が、組織の原点。しかし農民主体・手探りの市乳事業は困難を極めた。
全国的な不景気に加えて値下げ競争、過剰な景品サービス、不良顧客による代金不払い踏み倒し。「このままでは共倒れになる」
昭和7年にはライバル関係にあった飛騨牛乳(株)、山田滋養舎と合同し斐太共同牛乳販売組合設立に至った。
その後、利益配分のあり方を巡って分裂するも、昭和11年に牛乳取扱規則が改正され、莫大な設備投資負担の生じるミルクプラント建造が急務となるに及んで、三者は再び合同。原乳の処理と販売に特化した合名会社斐太中央ミルクプラントが設立される。
やがて戦火の昭和18年、飼料不足・人手不足により原乳確保が困難となった飛騨牛乳(株)は解散。昭和21年、法人化していた合資会社山田滋養舎も解散。この間、飛騨牛乳販売購買利用組合へ改称しつつ踏ん張り抜いた三福寺メンバーは、戦争の長いトンネルを抜けた昭和22年、飛騨酪農農業協同組合へ生まれ変わる。
今や東海・北陸地方に太い販路を持つ現役の中堅農協さん。瓶製品も健在。ブランドの知名度は高く、特許庁による“地域ブランド”認定第一弾グループにも名を連ねている。平成に入って活発化した地域酪農協の統合整理においては、県下神岡酪農(神岡牛乳)、益田酪農(下呂牛乳)が合流し、その存在感を一段と増した。
ご当地ではお馴染みの 「組合マーク」 制定は意外と遅く、昭和40年。全国に公募の結果、飛騨の“ひ”の字を牛の顔に図案化したマーク
(掲載瓶ご参照) が現在も使われている。この瓶、側面には
「空ビンは非売品ですからどうかお返し下さい」
との注記入り。売店の方に持ち帰り許可は得ましたが…ごめんなさい!